分離主義教会で起きている問題について

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分離主義教会に在籍中に主任牧師から受けた心理的虐待のために、今もなおその後遺症に苦しんでいる被害者が多く存在しています。
その被害者がブログのコメント欄に書き込んだコメントについて、訴訟騒ぎが起きています。
今日はこの問題について皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。

①被害者が主張したい最重要なことは、自分と同じ被害を受ける人々がこれ以上起きないでほしいというものです。

被害者が受けた心理的虐待が突発的なものでないことは、この分離主義教会に人権侵害と言わなければならないような事例が続いて起きていることを見ても明らかであると思います。
この教会の主任牧師は、奏楽の奉仕をしたいと申し出た婦人信徒を「頭のおかしい人」と自身のブログに書きました。
このようなことは一般の教会の牧師であれば決して書かないことです。

他者が自分について書いたことに対しては即座に訴訟という手段に訴えるほどに敏感であるのに、自分自身が教会員の人権を侵害することに対してはは恐ろしいほどに無感覚であるようです。
また同じ教会のメンバーと見られる人は、ご自身のブログに「あの人はなぜ私たちの教会に来るのだろうか?誰もあなたを歓迎していないのに」と書きました。
もし本人が、このブログを読んだら、どれほど心を傷つけられるかなどは全く考慮していない無神経さに呆れるものです。

この牧師はニホンキリスト教は腐り切っており、エクソダスするほかはないと教えているのですが、腐っているのは一体どちらなのでしょうか?

②分離主義教会の主任牧師にしてみると「過去に和解したことになっているのに、なぜ今になって蒸し返すのか?」ということになります。

しかし被害者の立場から言えば、その和解は自発的なものではなく、ネット上で被害者の家庭の個人情報を主任牧師が書き始めたため、心ならずも行なわざるを得なかったものです。
被害者の心情から言えば、何一つ解決がされていないのですから、正常な解決に向けて行動を起こすのは第三者から見ても納得できることです。

③聖書に「民事上の争いをこの世の裁判所に訴えてはならない」とあるにもかかわらず、この分離主義教会の主任牧師は訴訟を多発させています。

もちろん刑事告訴する権利まで聖書は否定しておりません。
しかしこの牧師は刑事告訴と民事告訴の両方を用いるという警告を、被害者本人はもとより、ブログの管理人、ブログにコメントした者たちにも発しております。

④ある牧師は「『民事上の争いを裁判所に訴えてはならない』という新約聖書の教えは、教会が複数の教派に分裂する以前の単一の教会であったときに言われていることである。だから、今のように教会が複数の教派に分かれている現状では、この聖書の教えは無効である」と言いました。

このような主張を是として受け入れることは、聖書を誤りのない神の言葉であると信じる福音主義キリスト教の根幹を否定することにならないでしょうか?
そもそも聖書は神を信じる者たちが迷うことなく神の御心に従って生きることが出来るようにと、世の終わりに至るまでのことが書かれている書物です。
殊に黙示録にはそのことが明確に記されています。
ですから教会が複数の教派に分かれることを、聖書が予見できなかったなどという主張はとても受け入れることは出来ません。
聖書は世の終わりに至るまで社会と教会がどのように変化するのかを予見しています。
ですから新約聖書の教えのどれ一つとして、初代教会のときには有効であったが、現在の教会には適用することが出来ないなどというものはありません。
全ての新約聖書の教えが今も有効であるのです。

⑤この問題についてのあるべき解決の道。

この分離主義教会の主任牧師は、ご自身のブログで「和解のための話し合いを呼びかけている」と書きました。
しかし被害者は「そんな呼びかけは一度たりとも受けたことがない」と言っています。
一体どちらが本当のことを言っているのでしょうか?
一般的なことを言えば、和解のための話し合いを呼びかけつつ、同時に訴訟を仕掛けるというのは考えにくいことです。

この分離主義教会の主任牧師が本当に和解のための話し合いを求めているというのであれば、刑事告訴を取り下げなければなりません。
もし刑事告訴を取り下げないというのであれば、事実と異なる虚偽の内容をブログで公表したことについて弁明する責任があります。

◎戦前、神社参拝を拒否した日曜学校生徒を見殺しにし、ホーリネス弾圧を黙認した我が国の教会は、結局自身が神の裁きを受けなければならなくなりました。
これら被害者はバラムの行く手を阻んだロバの役割を神様から担っている人々です。
これらの人々の叫びに、私たちは真摯に耳を傾けることが求められています。
私たちクリスチャンは、この問題を教会の片隅で起きていることと思わず、注意と関心を持って見張っていなければなりません。

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