あえて空気を読まない生き方

我が国では、空気が読めない人のことをKYと呼ぶそうです。
「空気を読めよ!」と誰かがありのパパに言おうものなら、「誰が空気なんか読むか!アホンダラ」と即座に言い返すと思います(笑)。
一昔前は「皆がそうしている」ということが良く言われました。
ようやく「どこにもいない皆」の正体が明らかになったと思ったら、今度は「空気」です。
「どこにもいない皆」の正体は「どこにもいないオバケ」でしたが、今度の「空気」はますますオバケの本質そのもののような存在です。
そのような「空気」などというオバケは、どこにも存在しないのです。
ほんとに「いい加減にしろ!」と言いたい気分ではあります(笑)。

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1.空気を読む生き方の欠点とは?

①日米開戦は、その当時の空気を読んだ人々によって決められた

日米開戦を決断した軍首脳のインタビュー記事を最近読みました。
その中でこの方は「日米開戦はその当時の空気だった。それに逆らうことは出来なかった」と仰っていました。
生産力が我が国の十倍大きいアメリカに戦争を挑むなどは正気の沙汰ではありません。
これは合理的に考えれば火を見るより明らかなことです。
しかし合理的にものを考えることを止めて、周囲に漂う実体のない「空気」に支配されて、主体的な決断を放棄したのです。
これが我が国と周辺国に多大な損害を与えることとなりました。

②空気を読む生き方の結末は主体的な生き方の放棄につながる

若者は主体的に生きることを望み、壮年は主体的に生きることと、空気を読む生き方を何とか両立しようとします。
老年になって自分の人生を振り返ってみると、結局実体のない「空気」に支配されて生きてきたことに気づきます。
このように主体的な生き方と、空気を読む生き方は根本的に対立するものであり、決して両立させることは出来ません。
両立させようとするなら、結局「空気」に飲み込まれてしまうことになります。

③空気を読む生き方の本質は世俗主義

なぜ空気を読もうとするかと言えば、それは人の目を恐れるからです。
主体的な生き方は、神を畏れる生き方です。
「彼ら(ユダヤ人)は神よりも、人の目を恐れた」と聖書は言っています。

2.空気が読めないのと、あえて空気を読まないのとは違う

①空気が読めない人は読めるようになったほうがよい

「なんでですか?空気を読まない生き方をするんだったら、空気なんか読めなくても良いではありませんか」と言う人よ。
そうではありません。
空気が読めないとどうなるかと言うと、常に周りに振り回されることになります。
ですから、どうしても空気が読めるようになることは必要なことです。

②あえて空気を読まない生き方は主体的に生きる生き方

「あえて空気を読まない生き方」は空気を読んだ上で主体的生き方を決断することです。
空気が読めるということは、相手の出方が予想できるということです。
そうすると先手を打つことが出来ますから、振り回されずに生きることが出来るようになります。

3.空気を読みながら、神を信じる人生を生きることは不可能

①あえて空気を読まない生き方をしている人々

マイクロソフト創設者のビル・ゲイツや、アップル創設者のスティーブ・ジョブスは、あえて空気を読まない生き方を実践している代表的な人々と言うことが出来るでしょう。
アップルのジョブスさんは、製品を造るときに自分が一番使いやすいと感じることを大切になさるそうです。
「これもあった方が良い。あれも付けといた方が良い」という意見は大抵の場合無視されます。
このようなやり方が何時でもうまくいくとは限りませんが、今のところ大成功を収めています。

②空気は読めるが、先が読めない日本企業

そのような典型例が我が国の携帯電話機器メーカーです。
東芝・三洋・三菱が携帯電話市場から撤退し、カシオと日立とNECは一つのグループになりました。
残っているのは、シャープ・パナソニック・京セラ・富士通の五社となってしまいました。
(2016/04/08追記:パナソニックと富士通は撤退、シャープは台湾企業に買収され、残るは京セラ一社となってしまいました)
周りの人が言う通りの物を黙々と造った結果が今の体たらくです。

③リスクを背負う覚悟が必要

リスクを背負う覚悟なしに、あえて空気を読まない生き方を実践することは出来ません。
しかし空気を読む生き方はリスクを背負う覚悟がいらないと言っても、リスクそのものがなくなるわけではありません。
間違った決断をするなら破滅という結果を甘受しなければならないのは、どちらの生き方を選んでも同じです。
それだったら主体的に生きる生き方を選び取った方が、満足が大きいのではないでしょうか?

◎どうでしょうか?どのように生きても只一度の人生です。
それであるなら、あえて空気を読まない生き方を、あなたもしてみませんか?
祝福を祈っています。