強迫的な信仰と無力を認める信仰

傍から見ると一見同じに見えるのですが、実は中身は全然違うというものがあります。
それが霊的・精神的な領域のものですと、その違いを判別することはより一層難しくなります。
それで今日は皆さんとご一緒に、人造宗教と聖書宗教の違いについて見ていきたいと思います。

①完全主義

「完全論」はおもにウェスレアン・アルミニアン神学に立つ教会で使われる言葉です。
「完全」が意味するところは、キリスト者としての完全です。
これは原罪の除去・全き愛に満たされることを含みます。
これが目指すところは救いの恵みとは異なるものであると、ありのパパは考えています。
救われるときは「ありのままのあなたで良い」と言われたのにもかかわらず、気が付いてみると「あなたは成長しなければならない。完全にならなければならない。」と教えられているのです。
これでは詐欺にあったと信仰者たちが考えるのも無理はありません。

②勝利主義

「勝利できる」と教えるのと「勝利しなければならない」と教えるのとでは、雲泥の差があります。
一方は信仰者に希望を与えますが、他方は信仰者に強迫的な思い込みを与えます。
「負けることもあるし、勝つこともある。しかし私たちには勝利する道が備えられている」と教えられると、私たちはぐんぐんと成長することが出来ます。
しかし「いつまで敗北を続けている気か?早く勝利者になれ!」と教えられると、責められている気がして喜びが消え失せます。

③分離主義

偽物の教会と本物の教会に分けるのが分離主義の本質です。
完全主義や勝利主義が信仰者個人を二流の信仰者と一流の信仰者に分けるのに対して、分離主義は教会を二元論でもって二つに分けます。
しかし理想的な教会は地上のどこにもありません。
聖書には「ただ全ての教会は聖書の標準に則って、完成を目指して進むべきである」と教えられています。

④祝福信仰

祝福信仰とは「必ず経済的祝福を得ることが出来る」と強迫的に考える信仰です。
聖書の信仰は「福音の中に祝福は含まれている。ただし優先順位があり、救いの恵みに優って大切にされるものではない」と教えます。

⑤癒しの信仰

癒しの信仰とは「どんな病も必ず癒される」と強迫的に教える信仰です。
聖書の信仰は「どんな病も癒され得る。ただし信仰者個人が癒されるかどうかは神の主権のうちにあることである」と教えます。

◎私たちはイミテーション信仰ではなく、真に聖書に忠実な信仰を持ってこの世の生涯を歩みたいものです。

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