創業者の使命と後継者の使命

①商売などですと、創業者の代には様々な苦難があり、それを乗り越えて会社の基盤を造ります。

二代目になりますと、不思議にトラブルや苦難というものに遭遇しません。
それは創業の引いた路線の上を忠実に走っているからです。
もちろん二代目の時代には、創業者が引いた路線は今もって有効であり、誰もこの路線を修正しなければならないとは考えません。
また創業者と苦難を共にした同労者たちがいまだ存命であり、会社の各所で目を光らしています。
ところが三代目の時代になってくると、話は違ってきます。
何故かと言えば、どんなに優秀な創業者であっても、三世代経過しても有効であるような路線などは存在しないからです。
そして悪いことに、創業者と共に苦難を共にした同労者たちは既にこの世にいません。
そこにいるのは、苦労をしたことのない坊ちゃんと、修正を余儀なくされている路線ということになります。
しかし、ただの坊ちゃんには創業者が持っていたような哲学も現実適用能力もありませんから、会社は左前にならざるを得ません。
昔から商店や会社は三代目で潰(つぶ)れると言われました。
しかしもし三代目の危機を乗り越えることができれば、後は相当長く繁栄が続くとも言われていました。

②モーセによって率いられたイスラエルの民は、今度はモーセの後継者であるヨシュアに付き従います。

あれだけモーセに反抗の限りを尽くしたイスラエル人ですが、不思議なことにヨシュアには従順であり続けます。
この理由を考えることは大変興味深いことです。
ありのパパが考える理由は、モーセによって四十年間を導かれている間に、イスラエルの民の実質が変わったのではないかと言うことです。
どういうことかと言いますと、エジプトにいたときのイスラエル人は信仰は持っていても、物の考え方や行動パターンは異教の民と何ら変わるところが無かったのです。
それが四十年間様々なことを体験し、そこから大切なものを学び、真の神の民へと変化することが出来たのではないかということです。

③ヨシュアは忠実にモーセの引いた路線を踏襲しました。

これが成功の理由であると思います。
ヨシュアの時代のイスラエル人は、モーセに反抗したことによってカナンに入国できなかった人々の子供たちです。
自分の親の失敗を目の当たりにしていますので、「自分は絶対失敗しないぞ」と肝に銘じていたはずです。
ですからぶれない指導者と賢明な国民という組み合わせですから失敗するはずがないとも言えるぐらいです。

④では私たちの教会はどうでしょうか?

教会は神の宮であって、この世の会社などとは性格が根本的に異なるものですが、しかし人間によって形作られるものである以上、組織原則などはこの世のものと共通点があると考えても差し支えないように思います。

教団などの創設者は、とても個性が強く、周りの者との強調よりも、使命の実現を優先する人がほとんどでした。
しかし後継者たちの代になると「皆仲良し」と言いますか、波風を立てないことを最優先にするようになります。
となると三代目に危機が訪れるということになります。
何かこじつけのようでもありますが(笑)、我が国のキリスト教会は戦後の再スタートから数えると三代目の時代に当たります。
どうやらバトンの受け渡しがうまくいっていないようです。

⑤問題は何でしょうか?

問題の第一は、創業者たちの引いた路線に綻(ほころ)びが見え始めたにもかかわらず修正せず、そのまま走り続けたというところにあります。
聖書を現実に適用して、既存の神学に新たな一ページを書き加えるという神学的営みをなおざりにしてきました。

問題の第二は、創業者たちが持っていた実質を受け継ぐことに失敗したということです。
戦後すぐの指導者たちは、決して個人的に信徒に何かを押しつけるということがありませんでした。
説教壇から聖書を語り、そのメッセージを聞いて、信徒一人一人が祈り、神の御前で決断をなすということをとても大切にしました。
若い者たちはそのような営みの大切さを理解せず、心の中では「何でもっと手っとり早く成果を出そうとしないのか?」と考えていました。
まさに三代目の苦労知らずの坊ちゃんそのものだったわけです。
これらの土壌の上にマインドコントロールなどの人権侵害が発生したと考えるべきだと思います。

◎私たちは受け継いだ聖書信仰を大切にしながら、なお聖書信仰を現実に適用する必要があります。
それなしには聖書信仰者はただの狂信者になってしまう危険があります。
告発する人に問題があるのではありません。
その告発を受け止めきれない私たちの側にこそ、問題があるのです。
祝福を祈っています。

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コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさん、おはようございます。

    記事を読んでいて、思わず唸ってしまいました。

    私にはこういった、物事を上から全体的に俯瞰して捉える(大局的な視点、戦略眼、佐藤 優氏の言うところの「神学的思考」のようなもの)能力が徹底的に欠けているからです。

    訓練が足りないのか、適性が無いのか、たぶん両方なのでしょう。

    でもいいや(⌒∇⌒)ノ””
    佐藤 優氏のように博学だったり、ありのパパさんみたいに物事の本質を見極められる人に私がなっちぁったら、きっと上から目線で人を裁きまくりの傲慢でどうしようもない奴になっちぁったかも…。

    適当に頭悪いのも恵みかも!?(そこで開き直るな!!←自分ツッコミ)

    この記事も大変勉強になりました。どうもありがとうございます。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      私は単純・素朴の聖書信仰者に過ぎません。
      どうぞ必要以上に人を持ち上げることをなさいませんようにお願いします。

      またコメントしてください。お願いします。