バラム的生き方の結末

旧約聖書のヨシュア記には「イスラエル人は、ベオルの子で、占い師であったバラムも殺してしまった」[13:22]とあります。
聖書はこのバラムのことを糞味噌(くそみそ)に言っているのですが、日本人クリスチャンには、なぜバラムがこのように悪く言われなければならないのかが分かりにくいのではないでしょうか。
理由はバラムの行動様式が私たち日本人にとても似ているからです(笑)。

バラムは異邦人の王様に無理難題を言いつけられるたびに真の神様の元に行って神の御言葉を受け取ってきます。
そしてそれを恐れることなく、異邦人の王に伝えているのです。
これのどこがいけないのでしょうか?

①同じ事を何度も何度も神様にお伺いしています。

親がダメだと言っているのに、何度も何度も子供が自分の願いを口にするときがあります。
このようなときは大抵、子供は自分が世界の中心であり、世界を支配しているつもりのときが多いのです。
このような場合、親はあわてず騒がず「ダメなものはダメ」と言ったきり、知らんぷりしているのが一番です。
それを子供の作戦に引っ掛かって「あなたはもうほんとに聞き分けがないんだから!」「何回言ったら分かるんだ!」とヒステリックに叫んでいる親御さんがおられます(笑)。
子供はもうすぐ、自分の望む物が手に入る事を知っており、さらに親を責めたてます。
そうすると親は根負けして「もうほんとにしょうがないわね。今度だけよ」と言って、子供に物を与えます。
そのような光景を傍で見ていると「本当にしょうがないのは誰?」「その今度だけは何回目?」と聞いてやりたい思いに駆られるのです。

②問題は本音と建前が一致していない事です。

バラクはあたかも「私は神様の言う通りにしたいのですが、王様がこう言っているので私は心ならずもそうしなければならないのです」と言わんばかりです。
しかしバラクの本音は異邦人の王がくれる報酬を手に入れたいというものではなかったでしょうか?

③神はバラクの願いを聞かれます。

どうして神はよこしまな思いの願いを聞かれるときがあるのでしょうか?
本当のところは分かりませんが、やはりそうする事によって神のご計画が実現するためであり、もう一つはもし神がバラクの願いを聞かないとすると、バラクはさらに邪悪な方法によって自分の願いを実現させようとする事を、神様はご存じであったからではないかと考えます。

④本音と建前が一致していないとき、人生はコントロール不能となります。

それは自分も自分自身をコントロールできないし、神にもそのような人を導くことがお出来にならないという事です。
なぜでしょうか?
自分は誰よりも自分自身の事を良く知っているはずだし、ましてや神は全能の存在ではありませんか。
しかしいくら神が全能であっても、あなたが誰よりも自分の事を良く知っているつもりであっても、あなたの人生は停まるべき駅で停まる事が出来ない暴走機関車のようです。

⑤私たちが自分の人生をコントロールしたいと思うなら、私たちは自分自身という、もう一人の自分に向かって「あなたの本音は何?あなたは何がしたいの?」と問い掛けなければなりません。

そのようなとき初めて、自分自身が声を上げるようになり、自分と自分自身の関係がつながります。
このような状態になると、神もまた私たちを導く事がお出来になります。
順番は、自分自身⇦自分⇦神様です。
神が「自分」を差し置いて直接自分自身に働きかけるという事はありません。
私たちは、神と自分自身、社会と自分自身の間に立って、自分自身の善きマネジャーとして振る舞うことが求められています。

⑥本音と建前が一致しないまま人生を送ると、その人生の最後は滅びです。

バラムには悔い改めるチャンスがいくらでもあったにもかかわらず、そうしませんでした。
悔い改めとは、人生の方向転換です。
バラムは異邦人の王から莫大な金品を得たかもしれませんが、その最後はイスラエル人に殺されなければなりませんでした。
そうなる前に悔い改めて人生航路を方向転換しなければなりません。

◎神が求めておられることは、本音と建前が一致していることです。
そして自己一致した姿をもって、神に従うことです。
そのようなとき、神様の無尽蔵の祝福をいただくことが出来ます。

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