裸の恥とは何か?

「裸の恥」とは何を指しているのでしょうか?
ありのパパが若い頃、「裸の恥」とはひょっとして現実として裸の姿を人を見られることを指しているのかと考えていたときもあります。
良く考えれば(良く考えなくても)そんなことある訳ないのです(笑)。
では「裸の恥」とは一体何を指しているのでしょうか?

『心の目を覚ましていなさい。わたしは今にもすぐそちらへ行く。キリストに覆っていただき、裸の恥を現さないようにする人は幸いである。』[黙示録16:15](現代訳聖書)

1.『目を覚ましていなさい』とは?

①自分自身と隣人の必要にいつも目を留めていること。

聖書には「目を覚ましていなさい」という言葉が良く出てきます。
ある人は「そんなこと言われんでも、起きとるがな」と言われるかもしれません。
しかしここで言われている「目を覚ます」とは、そういう意味ではありません。
ではどういう意味かと申しますと、それは自分の周りの人々の霊的・物質的・精神的必要に対して敏感に生きるということです。

②やっかいなのは眠っている人は、自分が眠りこけていることに気づかないことです。

ある日突然、妻から離婚を言い出されて、慌てふためく夫の話を時々聞きます。
しかし突然だと思ったのは夫だけで、妻の方はそれこそ何十年も我慢に我慢を重ねているのです。
そのような妻に「言わなきゃ、分からないじゃないか!」などと、言おうものなら「だ・か・ら、あなたとは一緒にいることが出来ない」と妻に最後通牒を突きつけられるのがオチです。

③人々の必要に気づかない人は、実は気づかないのではなく、気づくつもりがないのです。

かつて、このことをありのパパに言った人がおりました。
それまでありのパパは良心的に生きてきたつもりでしたので、その言葉は心外であり、当惑しました。
しかし今は心の底から、気づかないのではなく、気づくつもりがなかったということに同意する者です。

④「後悔先に立たず」と申します。

家庭内の問題は、大体いつも同じ構図の中で起きます。
それは気づくつもりのない一方の当事者と、自分の願いを言葉で現す手段をもっていないため我慢に我慢を重ねるもう一方の当事者です。
これはある意味では仕方ないことです。
鍵は問題が起きたときに、気づきを得るかどうかというところに掛かっています。
(またもう片方の当事者は、自分の願いを適切に表現する術を学ぶことが必要です。)

2.『キリストに覆っていただく』とは?

○私たちは我力では、自分自身を受け入れることも出来ないし、隣人を受け入れることも出来ません。

しかし自分の無力を認め、神にならこんな自分をお救いになることが出来ると信じるなら、神が奇蹟をもって救ってくださいます。
キリストに覆っていただくとは、この神の奇蹟的救いと助けを指して言われているのです。

3.『裸の恥を現す』とは?

○自分の無力を認めず、キリストに頼らず、我力(がりき)の生き方を続けて人生が遂に破綻してしまうことを指しています。

ある人は「私はクリスチャンだから、その心配はないわ」と言う方もおられるでしょう。
しかしそのような人は次のことを忘れているのです。
即ち、この警告はクリスチャンが読むようにと書かれた黙示録の中にあるのです。
決してキリストを信じていない未信者に向けて書かれているメッセージではありません。
私たちクリスチャンが「裸の恥をさらす」危険があるから、このような警告がなされているのです。

◎裸の恥とは、キリストに頼らない生き方、即ち我力に頼る生き方はいつかは破綻することを指しています。
さて、私たちはどうでしょうか?
我力の生き方を捨てて、無力を認め、神に頼る生き方を今日も更新しつつあるでしょうか?
祝福を祈っています。

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