共感がなければ何をしても無駄

「アルコホーリクス・アノニマス」(通称:ビッグブック)を読んでいましたら、とても参考になることが書かれてありました。
今日はそれを皆さんにご紹介したいと思います。

①苦しんだ経験者であること。

安っぽい同情と真実な共感の違いはどこにあるのでしょうか?
それは安っぽい同情は自分が体験したことがないにもかかわらず、あたかも体験したかのように振る舞うことです。
真実な共感とは、たとえばガンになったことがある人は、今現在ガンと闘っている人に対して尋常ならざる連帯感を持ちます。
なぜなら闘病の苦しみを自分が味わったことがあるからです。
そのような真実な共感は、相手の心を開くことが出来ます。

②その状態を知り尽くしていること。

たとえばカルト被害者であるなら、カルト被害者が陥る苦境には、どんなものがあるのかを具体的に知っています。
これは同じ苦しみを体験した人でないと、やはり想像できないものであると思います。

③その人が解決法を持っていることが、姿・形の全体から溢れ出ていること。

「兄ちゃん、私の勧める信仰を信じたら、金持ちになれるよ」とありのパパに声をかけてきた人がおりました。
その声の主の方に振り向くと、その人はホームレスでした。
ありのパパは心の中で「人に勧める前に、自分がまず金持ちにならんかい!」と突っ込みを入れていたのですが、口では「勧めてくださって、ありがとうございます」と応えていました(笑)。
「解決法を持っていることが、姿・形の全体から溢れ出ている」とは、誰が見ても「あぁ、この人は問題から解放されたのだな」と分かるということです。

ただし、二つのことに注意する必要があります。
一つは、自分の解決法を相手に押しつけないことです。
二つ目は、演技しないことです。
演技するとは、解放されたふりをする、輝いた自分を演出するということです。
本物であればそんなことをする必要なないわけですし、偽物であればすぐにばれてしまいます。

④役に立ちたいという誠意だけで、聖人ぶっていないこと。

クリスチャンにはその自覚がないのかもしれませんが、ありのパパから見ると聖人ぶっているクリスチャンが多くいるように見えます。
聖人ぶるとは、本音を抑圧して建前を演じることです。
具体的に言うと、家で夫婦喧嘩をしていたのに、教会に来たら仲のよい夫婦を演じるということです(笑)。

⑤料金を支払う必要がないこと。

福音派教会では集会案内のときに「入場無料・出入り自由」と大声で伝道したものでした。
そうすると時々、「ただほど高いものはない」とか「ただということは、ほかに別に狙いがあるからだ」と言われ、お金を取った方が良いのかとも考えました。
しかし原則的なことを言えば、主イエスは私たちからお金を取って十字架に掛かられたでしょうか?
そうではありません。
無代価で救いを提供をしてくださいました。
ですから私たちも只(ただ)で救いを伝えなければなりません。

⑥余計な心配が要らないこと。

余計な心配とは、「一回入ったら二度と抜けられないのではないか」とか「奉仕を押しつけられるのではないか」という類の心配です。

⑦誰のご機嫌もとらなくて良いこと。

これは日本の教会では難しいことだと思います。
日本人は誰の気分も害することがないようにといつも身構えているように思います。
それで教会員同士の交わりに積極的になれない人々もおられるようです。
神様を礼拝することと、御言葉を学ぶことが主目的なのですから、それ以外のことは気を抜いてリラックスしたいものです。

⑧我慢して講義を聞く必要がないこと。

ある人が「牧師の説教ほど、強力な睡眠薬はない」と言った人がおりました。
またある牧師は「寝ても良いけど、いびきだけはかかないでほしい。なぜなら寝ている人を起こしてしまうから」と言いました。
もし教会の説教が、自分が抱える問題を解決するためのものだったら、寝る人はいないでしょう。

◎アルコホーリクス・アノニマスの人々は、上記の原則に特別な効果があると気づきました。
そして人々に働きかけた結果、多くの人たちがやる気を起こし、アルコール依存症からの回復の道を歩き始めたのでした。
全ての人はアル中ではないかもしれません。
しかし全ての人は罪人です。
私たちクリスチャンは、罪から解放されて歩んでいるでしょうか?

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