神がヨハネに啓示と霊感を与えて黙示録を書かせてくださった!

黙示録の真の著者は神様です。
その神様がヨハネという人を選んで、これから起きることを啓示し霊感を与えて間違いなく記録させました。

①なぜ神は黙示録の記者としてヨハネを選んだのか?

ペテロでも良かったしパウロでも良かったしマタイでも良かったのではないでしょうか?
ありのパパが推測する理由は以下の通りです。
ヨハネは自分が書いた手紙(Ⅰ3:2)に「これからどうなるのか、まだよく分からない」と書きました。
ここから推測できることはヨハネはこれからどうなるのかを知りたいと願う気持ちが強くあったということです。
そのヨハネの願いに神が答えられたという側面もあったのではないでしょうか?

②なぜヨハネは先のことを知りたいと願ったのか?

それはその当時の歴史的要因に強く起因していると考えます。
キリストの大宣教命令によって華々しくスタートした教会ですが、その初めからずっと教会を見守り続けてきたヨハネにとっては励まされることと共に心配になることも沢山あったと思います。

『教会は聖霊に励まされて、日々前進し続け、数も増えていった』と使徒の働きには記されていますが、教勢がますます拡大して行ったのは励まされることだったでしょう。
しかしその一方では迫害がますます酷くなっていきました。
迫害によりペテロやパウロも殉教しました。

内部的には教会の中に異端が入り込んできました。
それでヨハネの手紙シリーズが書かれたのですが教会の中から異端が一掃されたと言うことは出来なかったと思われます。
(教会は二千年間ずっと異端と戦い続けてきました。その中には明らかに異端としたこと自体が誤りだったこともありましたが、それでもなお教会は聖書に忠実な教えのために戦ってきました)

③ヨハネの願いに応えて神はこれから起きることを見せてくださった

ヨハネはキリストを証したためにパトモス島に流されました。
ペテロやパウロが殉教してから約30年が経ち、教会員の中に初めの様子を知っている者も段々と少なくなってきました。
皇帝ネロの迫害も止み、平和が訪れるかと思ったのも束の間、今度は自分が別の皇帝によって迫害されることになりました。
このような状況におけるヨハネの危機感は相当なものだったろうと思われます。
この危機感は不健全な心配性によるものではありませんでした。
なぜなら神がその危機感に応えてくださっているからです。

④私たちも不安に押しつぶされそうになるときがある

私たちには知っていないといけないことが三つあります。

a.自分が救われていることを知っていなければならない

ヨハネは『私たちは既に神の子である』と言いました。
自分の人生の土台がキリストの上に建てられていることを知っているのはとても大切なことです。

b.人生の結末を知っていなければならない

ヨハネは『キリストが再び来られるとき、私たちはキリストのようになることを知っている』とも言っています。
自分の人生の終わりがどうなるのかをはっきり知っていることは確かな人生を送るために必須のことです。

c.世界の終わりがどうなるのか知っていなければならない

ヨハネは自分が救われていることも死んだ後どうなるかも知っていました。
しかしそれだけでは安心できませんでした。
この世界の情勢がどこに向かって動いていくのか、どのような動きがあるのかを知っていなければ確信を持って人生を歩むことは出来ません。

⑤黙示録の正しい理解によって確信ある人生を歩む

「たとえ将来が不安であっても信仰を持って歩んでいけば良いのです」という指導は効果的な指導ではありません。
ありのパパもこのように言われて納得しようとしましたが心に平安がありませんでした。
このやり方が正しい場合もあります。
しかし知っていなければならないことを知っているというのは大変重要なことです。

セクトは黙示録からとんでもない解釈をしてきました。
正統的な教会も黙示録の解釈では誤ることがありました。
しかし黙示録の健全な理解こそは教会にとっての生命線です。
食わず嫌いにならないで黙示録から学んでいきたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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