ますます神を知るために

ヨハネの手紙第一の4章7節には「ますます神を知ることが出来る」と書かれてあります。
有限な存在であり、罪ある存在の人間が、どうやって神を知ることが出来るのでしょうか?
そこで今日は皆さんとご一緒に、ますます神を知ることが出来る道とは、どんな道かを考えてみたいと思います。

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1.互いに愛し合うことによって

①霊的経験によらず。

この問題に間違ってアプローチする人々がおります。
それは神秘主義というアプローチです。
霊的な体験によって神を知ったつもりになるというのは、ある面では人間共通の願望なのかもしれません。
しかし霊的な体験によって神を知ろうとする試みは結局、傲慢と狂信で終わってしまいます。
聖書は異なる道を通って、神を知るようにと勧めています。
(霊的経験がなくても良いと言っているのではありません。)

②聖書理解によらず。

ありのパパが信仰に入ったたばかりのとき、ますます神を深く知りたいと思いました。
それでまわりのクリスチャンに、そのためにはどうしたら良いかを尋ねたところ異口同音に「聖書を学ぶべきだね」と言われました。
その指導は間違ってはいなかったのですが、心に深い納得を与えるものではありませんでした。
(ここで言いたいことは聖書を勉強することが最終目的になってはならず、聖書に書かれてあることを実践しなければならないということです。)

③自分自身と隣人を愛することによって。

今日の聖書個所に限らず、聖書には同じ教えが書かれてあります。
その教えとは、私たちが互いに愛し合うとき、神を深く知ることが出来るというものです。
現代の教会やクリスチャンは教えを一生懸命に学ぶのですが、どういうわけか教えを実践しようとしません。
これが他人事だったら「困ったもんだね」で終わるのですが、実はありのパパもそうなのです(爆)。

2.互いに愛し合うとは?

①相手の願い通りにすることではない。

「互いに愛し合いなさい」という聖書の命令に接したときの、ありのパパの正直な気持ちは「気持ち悪い」というものでした(笑)。
愛という言葉の本当の意味を知らなかったのが原因だと思います。
しかし愛という言葉の聖書的意味を知った後でさえも、やはり「愛し合う」ことには抵抗がありました。
なぜなら、愛とは相手の要求をそのまま受け入れることだと勘違いしていたからです。
相手の要求に屈する形で、相手の願いを受け入れるのは愛でも何でもありません。

②自分の願うように愛することでもない。

反対に愛とは相手を自分の願うように変えることでもありません。
「互いに」と言われるとき、それは双方が対等の立場に立っていることを前提にしています。
愛とは、双方が対等であるときだけ可能となることです。
相手の要求に屈したり、自分の願いを相手に押しつけるようなことは、決して愛とは言えません。
それは暴力です。

③ありのままを受け入れることによって。

では真の「互いに愛し合う」とは、どんなことを指すのでしょうか?
それは互いが互いの存在をありのままに受け入れることによってです。
「なぁ~んだ。簡単じゃないか」と言う人よ。
まず、実行してみてください。
そしてその後で、あなたが受け入れた人に「ありのまま受け入れられた気がした?」と聞いてみてください。
相手が「うん。気がした」と言えば大成功ですが、「ううん。全然ありのままを受け入れられた気がしなかった」と言われれば始めからやり直しです(笑)。

3.神の愛に全うされるとは?

①神が私たちを愛してくださったのだから、私たちも自分自身を愛そう。

今までのキリスト教は、一番大切な自分自身との関係をスポイルしたまま、神が私を愛してくださったように、隣人を愛そうとしました。
しかしそれではうまくいかないのです。
なぜならボタンの掛け違いがあるからです。

正しい聖書的順番は、
a.[神が私を愛してくださっていことを知る]
b.[自分自身を愛する] 
c.[自分自身を愛するように隣人を愛する]
でなければなりません。

②自分自身を愛するように、隣人を愛そう。

自分自身を愛するところにとどまっているなら、それは信じていないのと同じです。
なぜなら自分自身を本当に愛するようになったら、必ず隣人の中にある「自分自身」を愛するようになるからです。
もし、自分自身を愛しているが、隣人を愛していないという人がいたら、その人は実は自分自身を愛していると錯覚しているのに過ぎないのです。

③聖書は、私たちが互いに愛あう実践の中で、神の愛が完成されると言っています。

「今まで肉眼で神を見た者はいない」のですが、私たちが互いに愛し合うとき、その中に神が宿ってくださり、神の愛が私たちの互いのうちに完成されるのです。

◎今日ここに書かせていただいたことは、ありのパパのオリジナルではなく、聖書に書かれてあることです。
どうぞ、ご自分で聖書を開いて確かめてみてください。
祝福を祈っています。

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