アカンの罪

「アカンの罪」とは何のことでしょうか?「罪はアカンよ」ということでは決してありません(笑)。
モーセという偉大な指導者の後を引き継いだヨシュアが、イスラエルを率いて破竹の快進撃をしていたとき、勝って当然と思われていたところで負けてしまいました。
それでビックリして神様に原因を伺ったところ、民の中に神の戒めに背いて敵の分捕り物を隠し持っている者がいることが分かりました。
その者の名前がアカンと言います。
今日は皆さんとご一緒に、この物語は私たちに何を教えているのかを考えてみたいと思います。

スポンサーリンク

1.この個所は「全員一丸となって」とか「一人残らず全ての者が」ということを教えているのではない。

①カルト教会もこの個所を良く用います。

説教の中で「牧師に不服従する罪を犯す者が一人でもいるとき、教会は祝福されません。」と言います。

②しかしこの個所を「全員が一つになる」と理解するなら、教会はマインドコントロール集団となってしまいます。

この聖書個所は決してそんなことを教えているわけではありません。

③この個所の真意は[神の戒めを破るなら、神からの祝福を受けることができなくなってしまう]ということを教えているのです。

この理解も、理解の仕方によっては不健全な理解と実践を生みだしてしまう危険があります。
そのような誤りに陥らないために、聖書全体は何と言っているのかということを大切にしなければなりません。
では、神の戒めとは何を指しているのでしょうか?

2.神の戒めとは何か?

①律法を守ることによっては救われず、十字架でなされた神の御業を信じることによって救われる。

神によって律法がイスラエルに与えられて、その結果イスラエルの人々が心底納得したことは、律法を守ることによっては決して救いに到達し得ないということでした。
聖書には『多くのユダヤ人が信仰に入った』とありますが、これはそのような自覚を持ったユダヤ人が多くいたことを現しています。

②信じて救われたあとに、救われるための律法を守る行いを止めること。

人間という者は不思議な者で、ある行動を目的が成就したにもかかわらず続けて行ってしまうことがあります。
たとえば電気製品を買おうとしてカタログを取り寄せ、そのカタログによって自分が買うべき電気製品を検討します。
検討の結果、電気製品を購入したあとでも、ふと気づくとカタログを見ている自分を発見することはないでしょうか?
ありのパパにはそんなことが珠(たま)にあります(笑)。
これが電気製品であるなら笑って済ますことが出来ますが、救いに関して同じ間違いをしでかすなら、それは人生において致命傷となります。
この間違いを初代教会のエルサレム教会のクリスチャン達は犯しました。
どういうことかと言いますと、救われたあとも律法を守ることを止めなかったのです。

③ありのままで救われたのだから、自分自身と隣人をありのままに受け入れること。

律法を守ることによって救いに到達しようとする道は、ある意味では立派であるとも言えます。(もしそれが実現可能ならという前提が付きますが)
しかし自己の義による救いを諦めて、十字架の義にすがって救われる道は、ある意味ではみっともないことです。
これが万能感の強い現代人にキリスト教が受け入れられない理由の一つであると思います。
しかし信仰に入る全ての人がこの道を通るのです。
この道を通らない者は偽物であり、神からの者ではありません。
自分がみっともなく身一つで救われたことを身に沁みて自覚している人は、他者に余計な重荷を与えません。
私たちは気が付くと、自分にも他者にも、「ここまで出来たら合格。出来なかったら不合格」という定規を当てがちな者ではないでしょうか。

スポンサーリンク

3.神の戒めを破るとき、神との人格的関係を壊すことになる。

①神の戒めとは、自分自身と隣人をありのままに受け入れることです。

ですから教会に所属するクリスチャンたちが、人々をありのままに受け入れず、条件をつけて受け入れようとするなら、それは神との人格的関係を破壊することにつながります。
まさしく「教会壊すに刃物はいらぬ。ただこうなれ、ああなれと言うだけで良い」のです。

②教会生活が長くなると、どんな人を見ても、ありのままに受け入れることが出来るようになり、誰の言葉づかいにも服装にも躓(つまず)かなくなります。

若者が礼拝にスポーツウェアでやってきても「体が締まっていると、スポーツウェアも似合うね」と答えるし、ジーパンとTシャツでやってきても「シンプルが一番ね。すがすがしいわ~」と答える人々ばかりです。
間違っても心の中で「いくら若いからって、礼拝にふさわしい服装というものがあるだろうに」などとは決して思いません(笑)。

◎アカンの罪とは、神との人格的関係を壊すことを指しています。
私たちは福音の原理に従って生きる、ありのまま人生を送りたいものです。

どうぞコメントをお残しください。初めてコメントなさる方は必ず自己紹介をお願いします。自己紹介のないコメントを承認することはありません。詳しくはメニューの「コメントしてくださる方へ」をご覧ください。