足るを知る人生と凡庸な人生のちがいはどこから生まれるか?

不満足人生を生きたいなら人と比較する人生を精一杯生きることです。
しかし「足るを知る」人生を生きようと願うなら、人と比較することを金輪際止めることです。
そこで今日は皆さんとご一緒に、どうしたら人と比較しないで生きることが出来るかを考えます。

1.「そのまんま」と「ありのまま」は違う

そのまんまとは気づきがなく言葉遊びの世界で自分ごっこをしているのに過ぎません。
これは一言で言うなら「どうでもいい」ということであり、自分の行いをそのまま肯定してしまうことです。

ありのままとは気づきを得て「自分自身」という存在を受け入れることです。
今まで存在さえ気づいていなかったのが、あることをきっかけにしてその存在が重要な意味をもつのを悟ることです。

そのまんま人生と、ありのまま人生ではその最後が全く違います。
そのまんまの人生は不満だらけで恨み・怨念まみれですが、ありのまま人生は満足と感謝・平安・喜びです。
言葉遊びと屁理屈と詭弁で自己を正当化しても自分自身を騙すことは出来ません。

2.自分の成長の度合いを比較する

①人と比較するのをやめると無限の成長が始まる

人は自分自身という存在をありのままに受け入れると成長への欲求が湧いてくるようになります。

小学校の運動会の徒競走が「ビリになった子供がかわいそうだから」という理由で徒競走を止めてしまったり、みんな一位として表彰するということがありました。

これは正しいことでしょうか?
ありのパパは競争はよいことであると考えています。

なぜなら人は自分自身をありのままに受け入れると無限に成長したくなるからです。
なぜでしょうか?
それは今までは他人との比較という物差しで自分を計っていたので他人に負けると卑屈になり、勝つと思い上がるシーソー人生を送っていたのです。
それがその物差しを捨てて、新しい物差しを手に入れた人生は上がったり下がったりしませんから、エネルギーの無駄遣いがありません。
それで内的エネルギーが外側に向かって流れ始めるというわけです。

自分自身が成長するための努力は楽しいものであり、いくらやっても疲れません。
人に負けたら生きていけない、人に勝たないと満足したらいけないと思っている人がする努力は本当はしたくない努力です。

しかし他人との競争から解放された人生は自分が成長するのが楽しくて仕方がない人生です。
同じ人生を生きるのならシンドイ人生ではなく、楽しくて仕方がない人生を送りたいものです。

②どのくらい成長したかを重要視しすぎない

自分の成長度合いを重要視しすぎるのは危険なことです。
私たちの存在基盤はありのままの自分自身を受け入れたというところにあります。

もし自己成長に存在基盤を置くと成長できているときは良いのですが、成長が止まれば自分を責め始めます。

若い人々は万能感が強く、内心「やれば出来る」と考えています。
でもね、人間ってそんなに成長するものではありません。
成長もいつかは止まってしまうかもしれないのです。
それでも満足する人生を送る秘訣はありのままを受け入れること以外にありません。

3.他人と比較しない

他人と比較した瞬間に人生は緊張を強いられ、リラックスできなくなり、ちっともありのままではなくなります。

他者と自分を比較しない秘訣は自分自身をありのままに受け入れていること.自分の成長の足跡を振り返って、神様に感謝を献げること.他者の結果に対して共に喜び栄光を神にお返しすることです。

死と、死後の世界を常に自覚する

もし人生がこの世だけのものであるなら、必然的に人生は競争であり弱肉強食の人生観が支配するようになります。
しかし真実はそうではなく『全ての人に死ぬことと、死後に神の裁きを受けることが定まっているのです』[ヘブル9:27]

このことをしっかりと頭に入れて人生を歩むなら、決して他人と自分を比較して傲慢になったり卑屈になったりすることはありません。

「ナンバーワン」を求める人生ではなく、「オンリーワン」の人生を生きたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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