平安と祝福の人生を歩みたいなら、どうしても無力を認めることが必要

「愛しているけど、愛していると言えない」なんて書くと恋愛の話でもするのかとお思いかもしれませんが聖書の話です。
皆さんはこのセリフが聖書の中に出てくると聞いて驚かれるでしょうか?
それとも「あぁ、あの場所ね」と頷(うなず)かれるでしょうか?
場所は新約聖書ヨハネ福音書21章です。

①イエスがペテロに問いかける

イエスがペテロに『あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しますか?』とお問いになられました。
質問も何か変ですね。
愛とは個人的なものであり、誰かよりも愛するなどという比較は出来ないものです。

それではなぜイエスがこんなことを聞かれたかと言うとペテロが以前に大見得(おおみえ)を切って『私は誰があなたを裏切ろうと、あなたに付いていきます。そのためなら命をも捨てます』と言ったことがあるからです。

その時イエスは『あなたにはそのような信仰はない。失敗による失意を経験することによって同じように失敗して悩んでいる人々の気持ちを分かってあげる人になりなさい』と言われたのでした。
そのような背景があってこの質問が出てきました。
さてこの質問にペテロは何と答えたでしょうか?

②「愛しています!」と正面切って言えないとき

「私はあなたを心の底から愛しています」とペテロは答えることが出来ませんでした。
それは十字架に掛かられる前に『イエスを知らない』と三度もイエスを否んだからです。
『愛しています』と言おうとすると自分の失敗の映像が心に浮かびます。
責められる気持ちで一杯になり、口が裂けても「愛しています」とは言えなかったのでした。
それで何と答えたかと言うと『主イエス様は良くご存じではありませんか』と答えたのでした。

奥さんに「私のこと、愛してないの!?」と聞きとがめられて、なぜか愛していると言うのが口幅(くちはば)ったいように感じて「お前は俺が愛していると言わないと俺のことを信用できないのか!」と答える旦那さんのようではあります。

③ペテロを追い込むイエスの真意

イエスは同じ質問を三度ペテロに投げかけました。
困り果てたペテロは『主イエス様。あなたは(胸を張って愛していると言えない)私の事情を何もかもご存じでしょう。それでもなお私はあなたを愛しています』と答えざるを得ませんでした。

ペテロの心理を考えながらこの聖書を読んでいくと自然に涙が流れます。
ペテロにしたら自分のしでかした失敗を思うとどこかに隠れていたいのです。
そうやって人生を棒に振る人もおられます。

しかしイエスはペテロがそのような人生を送ることを願われませんでした。
それで弟子が揃っている前でペテロを追い込むような質問をされたのでした。
イエスはかつてのペテロのような建前でモノを言う「出来ます。絶対にやります」という言葉ではなく、「それが出来るような者ではありませんが、イエスのご命令ならあえてやらせていただきます」という告白をお聴きになりたかったのではないでしょうか?

④『わたしに従って来なさい』

ペテロが『到底出来ないけれど、あなたのお言葉なら従います』と答えたとき、イエスは『わたしに従って来なさい』と言われました。
イエスがお入り用なのは自信満々な者ではなく、自分の力に頼ることが出来ないことを知っている者です。

これは謙遜傲慢とは全く違うことです。
「いや~、私なんかとてもとても」と言う人に向かって「本当にそうだね。良く考えたらあなたには無理だ」などと言おうものなら首を絞められることは必定(ひつじょう)です。

人は言外に「そんなことない。あなたでなければ出来ないんだよ」と言ってもらいたいのです。
これを謙遜傲慢と言います。
イエス様が一番苦手な人がこのような人たちです(笑)。

⑤『あの人はどうですか?』と聞く愚かさ

ペテロはイエスに信任された直後にペテロらしい弱点を発揮してしまいます。
それはイエスのおそばに若いヨハネがいたことで自分の興味と関心がヨハネに移ってしまい、イエスに『この人(ヨハネ)はどうなるのですか?』と聞いてしまったことです。

直前まで自分の失敗で心がふさいでいたのをイエスによって立ち直ることが出来たばかりなのに、もう関心が神様以外のものに移ってしまったのです。

ペテロの後々の失敗の真の原因は「人が気になる。人の目が気になって仕方がない」というところにあります。

このやりとりを見ていると人間的失敗は二千年前からあったのだと知ることが出来ます。

私たち福音派教会も初めは純粋な動機で伝道を押し進めました。
しかし伝道の進展=教会の成長という安易な図式に乗ったときから他の人々との比較の中で自分の大きさと価値を計るという失敗を犯しました。

この失敗はペテロの失敗と同じ性質のものです。
イエスは『それはあなたと何の関係もない。あなたは只(ただ)わたしに従ってくれば良いのです』と言われているのです。

満足できる人生を送る秘訣は只一つです。
それは人との比較を止めてイエスにのみ従って人生を生きることです。
そこにこそ平安と祝福があります。

◎平安と祝福を祈っています。

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