「育て直し」とは?

かつて母子寮と呼ばれていた施設があります。
母子寮とは、離婚などによって、生活の糧を得ることできない母子家庭の人たちを支援する施設です。(現在は母子生活支援施設と名前が変わりました。)

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1.母子生活支援施設のこと

①長年その施設に勤務された方がインタビューに応じておられました。

そのインタビューの中に、注目すべきことがありましたので、皆さんにご紹介します。
施設の職員が入所者のお子さんを誉めると、そのお子さんのお母さんが怒りだすということがありました。
具体的に言うと、お子さんの着ている服がとても似合っていたので「そのお洋服、とても似合うわね」と職員が口々に誉めたところ、お母さんが職員に向かって「その似合う服を選んだのは私よ。私を誉めてくれても良いんじゃない?」と言い捨てて、自分の部屋に戻り、子供が着ていた服を脱がせました。
部屋の中からは明らかに子供を虐待していると思われる物音が聞こえてきました。

②なぜそのようなことをするのか、そのお母さんにお伺いしてみました。

すると「私は子供のとき、自分の親から誉めてもらったことが一度もない。それどころかいつも親を恐れてビクビクしていた。それがこの母子寮では、自分の子供が沢山誉められている。私はそれを見ると、心の底から怒りが溢れだしてきて、どうしようもなくなる。」

子供への虐待を含めて、どうしたものかと職員は思案しました。
その結果、音信不通になっていたそのお母さんの母親に連絡し、事情を説明しました。
そうしたところその方は「私は虐待しようと思って育てたわけではないが、結果として自分の娘の心に傷を負わせてしまい、社会的不適応の状態になっていることを誠に申し訳なく思います。」と申されました。

③しばらくの間、お子さんは児童保護施設にあずかってもらい、そのお母さんと母親の二人で一緒に生活していただくようにしました。

そうしたところ、そのお母さんは三歳児の時に退行したそうです。
お母さんに抱っこしてもらい、一緒に寝てもらいと、その甘えぶりは職員も驚くほどであったと言います。
しかし欲求が満たされると、急速に大人の状態に戻っていきました。
心の傷は癒され、間違った思い込みは正され、健全な人格の持ち主となりました。
それで一時的に児童保護施設にあずけていた娘を引き取り、一緒に生活をまた始めました。
今度は自分の子供が誉められると、自分が誉められたように感じ、一緒に喜ぶことが出来るようになりました。

2.育て直しとは何か?

①心の空虚感を満たす。

人は愛されてこそ、健全に育っていくことが出来ます。
愛されて育てられないとき、それが心に空虚感を作ってしまい、成人してから様々な破壊的影響をその人自身に与えます。
ある人はアルコール依存症になり、ある人は薬物中毒になり、ある人はニコチン中毒になります。
また健全な人間関係を作ることが難しく感じられます。
上記のお母さんのように、自分の娘が誉められると、誉められることのなかった自分の子供時代の悲しみ・恨み・怨念が吹き出て、自分でもコントロール不可能になることがあります。

これをカウンセリング的視点でどのように解決していくかと言うと「育て直し」ということをします。
お母さんに夜寝るとき、お子さんと同じ布団で寝てもらったりします。

②間違った思い込みを正す。

実は愛されていたのに、愛されていることを気づかなったという場合があります。
例えば「自分はアル中の母親のもとで育てられ、母は自分のことで精一杯で、私は放っておかれた」と感じている人がいるとします。
しかし話を伺ってみると、そのアル中のお母さんはふらふらになりながらも懸命に食事を作ってくれていたのです。
母親の身になって考えてみると、アル中で苦しいのに子供を思って食事を作ってくれていたのだということに気づいたとき、「あぁ、自分は愛されていたのだ。それも人一倍愛されていたのだ。」という思いに満たされたのでした。

③心の傷を癒す。

子供時代に自分でも忘れている(本当は忘れた振りをしているだけですが)傷ついた経験が、誰にでもあります。
このときに受けた傷をそのままにしておくと化膿します。
今を生きる私たちの人生にマイナスの影響を与えると言うことです。
ですからこれも意識的に思い出して、「辛かったね」とか「良く我慢したね」とその時の自分自身に言ってあげることです。

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3.イエスと育て直し

①親替えということ。

イエス様に私の新しい親になっていただくのです。
本来、信仰とはそういうこと(神を自分の親にするということ)なのですが、多くのクリスチャンンは表面的な信仰告白にとどまり、親替えをするという生命的に重要な営みがあることを気づいてさえいません。
親替えは重要です。
なぜなら、そもそも人間は欠けの多い存在であり、本当に愛して育てるということは不可能なことであるからです。
それで私たちを完全に愛し、命まで捨ててくださったイエスに、私の新しい親になっていただくのです。

②毎日の聖書通読の本当の目的とは?

聖書通読には様々な目的があります。
その中でも大切な目的は、聖書の中でイエスとお会いするということです。
聖書の中でイエスとお話をし、イエスの暖かな眼差しを感じるのです。
このような営みが、人を真に癒し、成長への道を歩ませるのです。
誰かが書いたディボージョン用の本を読んで、聖書通読の代わりにしている限り、このようなことは起こりません。

③心の傷と異言の祈り

私たちは意識しても中々心の傷を思い出せないものです。
しかし異言で祈るとき、内にいます御霊なる神が私たちの言い難きうめきをくみ取ってくださり、代わりに父なる神に祈ってくださいます。
このようにして知らず知らずのうちに心の傷が癒されていきます。
だからと言って、意識的に思い出す作業が必要ないということではありません。
心の傷の中には、意識の上に登らせるという作業無くしては癒されることのない傷があるからです。

◎私たちが生れてきたのも、救われたのも、今生かされているのも、愛されて生き、自分自身と隣人を愛して生きるためです。
祝福を祈っています。

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