抑圧された本音を解放する(その1)

「のれんに腕押し」という言葉があります。
これは何を言っても「そ~よねぇ~」と返してくれるのですが、その実何も分かっていないのではないかと思わせる人のことです。
ありのパパにも、このような経験があります。
「相手を受容することが人間関係の鍵です」と言うと、「そうよねぇ。まず受容しないと駄目よねぇ」と答えます。
ありのパパは、この答えにがっかりです。
なぜなら、この方には受容するということが不足していると思われたので、このように申し上げたのでした。
しかしこの方は自分は受容できているという前提のもとに、「そうよねぇ。まず受容しないと駄目よねぇ」と応答なさったのでした。
もちろん、一元的な見方に立てば、受容が出来ていないという見方も、受容が出来ているという見方も、皆一つの延長線上にあることです。
受容できている・出来ていないという考え方自体が、二元論であり、人が無限に成長するのを阻む原因になり得ます。

それでもなお、ちょっとした改善で人間関係が劇的に良くなるということも良くあることです。
それで今日は皆さんとご一緒に、どうしたら本当の自分の姿に気づき、無限の成長軌道に乗ることが出来るかを考えてみたいと思います。

1.ゲームを止める。

①「ゲームをする」とは?

これは自分の本音でないと、うすうす感じているにもかかわらず、他人が本音だと思っている「偽りの本音」を人間関係において演じることです。
このようなことは私たちの社会においては普通に演じられていることです。
しかし誰も自分の本音でないものを演じて幸せを感じる人はおりません。
では何故演じるかと言うと、そうしないと人の目が気になって恥ずかしいからです。

②「ゲームをしている自分に気づく」

演劇をやっている人に聴くと、演じることほど楽しいことは世の中にないそうです。
余りに皮相的な意見かもしれませんが、ハリウッドの住人に深刻な依存症の患者が多いのを見ると、そうなのかも知れないと思ったりもします。
ゲームをしている間は、本当の自分に直面しなくとも済みますから、心が楽ちんです。
しかし自分に直面しない限り、本当の幸せを自分のものにすることは出来ません。
自分や他人が期待する自分を演じている間は、自分の人生を本当の意味で生きているということは出来ません。
そこには空虚感というものが必ずあります。
この空虚感をテコにして自分が本当の自分を生きてないことに気づく必要がどうしてもあります。

③「ゲームをする自分から脱する」

自分がゲームをしていると気づいたら、そこから脱出することです。
エクソダスではありません、念のため(笑)。
ここで言う脱出とは、a.自分がゲームをしていることに気づくこと、b.幸せごっこを止めること、c.本当の自分を見据えて生き始めることを指しています。

2.ゲームを止めるとは、どういうことか?

①ふりをするのを止める。

テレビを見ていると、芸能人という人々がいかに視聴者の期待に応えることに敏感であるかがわかります。
視聴者がここで笑ってくれないかなと思うところで、しっかりと泣き、笑ってくれないかなというところで、にっこり微笑むのです。
そうしないと「空気が読めない奴」と言うことで、段々と声が掛からなくなるのかもしれません。
彼らはそれが仕事ですから、まだ理解できますが、これを一般人が普段の生活で行ってはなりません。

親の期待に応えて、勉強していた子が、とうとう親の期待に応えられなくなるのが登校拒否であるのです。
人の期待に応えて生きるのではなく、自分が生きたいように生きるのが、人として自然なことであり、そうしない限り、いつかは人生が行き詰まってしまいます。

②正直に生きる。

正直に生きるとは、「うれしい?」と聞かれて、自分が嬉しくないときは「ううん。嬉しくない」と答えることです。
もちろんいつもそれで良いということではありません。
たとえば子供が母親にプレゼントをあげて、感想を聞いたとします。
その時そのプレゼントが嬉しくなかったとしても、決してそう言ってはなりません。

ありのパパが子供のとき、自分の母に食事を作ってあげたことがありました。
その時母は「こんなに美味しいものは食べたことがない」と言ってくれました。
それでそれからは家族に食事をちょくちょく作ってあげるようになりました。

申し上げたいことは、自分に正直になることは一番大切なことであるが、そのために自分より弱い立場の者を傷つけてはならないということです。

③気づきを持つ。

どうしたら気づきを持てるのかと質問されることがありますが、残念ながら正解はありません。
回り灯籠(とうろう)は、自分で回そうとしている限りなかなか回らないのですが、自分で回そうとするのを諦めると、自然に回り始めるのです。
人の心はこの回り燈籠と同じようなものであると言えます。
気づきを持とうと焦っているうちは、ちっとも気づきを持てないのですが、自力で気づこうとするのを諦めると、心が自然に気づきを得始めるのです。

(続く)

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