カルト教会の見分け方

どこからどう見てもこれはカルトであるというものばかりではなく、一見普通の教会に見えるのですが実はカルト的傾向を持つ教会が多くあるようです。
そこで今日は、カルト的教会を避けるために幾つかのカルトの印を見ていきます。

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①「祈って示された」と指導者が言うことに、従うことを暗に強制される

「あなたのために祈っていたら、こんなことを示されたのよ」と微笑みと自信と確信を持ってあなたに言う人がいたら、あなたは最大限の警戒をするべきでしょう。

②家族や教会の中に除け者にされている人がいる

教会の中で「あの人は不信仰者だから」と言って、交わりの中に入れない雰囲気があったり、家族中で教会に集う中で一人だけ熱心でない場合、その人のことを「あの人は悪霊の影響下にある」と言う。
たとえば婦人会などで奉仕に加わらない人に対して、悪霊の影響下にあると考えているようなふしはないでしょうか?
ただ単に「あの人、もう!」と思うだけなら、他の教会でも良くある光景ですが、不従順と悪霊が結びつけて考えられているとき、それは明らかにカルト的傾向があると言えます。

③他教派のクリスチャンに対して「あの人は本当の信仰者ではない」と陰口を言う

しかし面と向かっては言わず、表面的な付き合いに終始する。
ただ単に神学が違うだけなのに、それがどういうわけか偽物の信仰者にされてしまいます。
なぜこんなことが起きるかと言うと、傲慢だからです。
その傲慢さを正当化するために、偽りの教えを利用することになります。

④根拠がない目茶苦茶な聖書解釈

これはどういうことかと言うと、殊に黙示録に対してどう見ても正気とは思えない目茶苦茶な解釈を施したり、ガラテヤ書の自我の磔殺の教えに対して独りよがりな解釈を施すことを指します。
什一献金の強制や、悪霊追い出しの強制についても同様です。

⑤同じ意見・同じ感想を持つことを強制する。(同意しない場合は除名という脅かしを掛ける)

当ブログに対して「意見が違うところはありますが、同じ聖書信仰です」と仰るメールをくださる方が多くおられます。
これこそ、健全さの証です。
なぜかと言うと全く同じ意見であれば、このブログを読む必要はないではありませんか。
意見が違うからこそ、お互いに議論して、意見をすり合わせて、妥当と思える合意点を見いだしていくという作業が尊いものとなるのです。
もし教会で「同じ意見を持てないなら、出て行ってもらって結構です」と言われるようなら、その教会は間違いなくカルトです。

⑥聖書そのものを説き明かさず、自分の教えの正当化のために利用している

礼拝などの集会で説教は聖書講解がなされているでしょうか?
もちろんこれは適用がなくて良いと言っているのではありません。
しかし聖書の釈義を含む基本的な聖書の教えの説き明かしをスルーしてしまっては、適用もカウンセリング的アプローチも出来ません。
もし出来たと思えても、それは世俗的なものと何ら変わるところがありません。

⑦聖書にない教えが頻繁(ひんぱん)に出てくる

キリスト教会で説かれる教えは、みな聖書の紐付(ひもつ)きでなければなりません。
自分の信じていることを、聖書の論証なしに教えることがあってはなりません。
微妙な問題ではありますが、聖書に明確に書かれていない教えは必ず教会を傷つけます。
「様々な教えの風に吹き回されてはいけない」と教えられている通りです。

◎カルトと異端は違います。異端でなくても、カルト的教会であることはあり得ることです。
健全な聖書的な教会とは、自律した個人が自由意志に基づいて集う教会のことです。
そこには人権侵害や脅迫まがいの教え込みはありません。

コメント

  1. Dr.D より:

    多くの宗教団体の経験があります。「病院やカウンセリングに行ってはいけない」と語り、自由を奪い去るのはカルト化だなと思います。

    あとヒエラルキーな制度はワンマン社長のように傲慢な性格が抑止できなくなるので
    こちらは注意が必要だと思います。

  2. Dr.D より:

    アリパパさん 

    (自己紹介です)
    米国プロテスタント最大の教派といわれる自由なバブテスト派のクリスチャンです。

    よく指摘されることなんですがバブテストなんで神学は薄いですね 一応、改革派よりです

    よろしく

  3. arinopapa より:

    Dr.Dさん、こんにちは。
    コメントをしてくださり、ありがとうございます。
    これからもよろしくお願いいたします。