『今日一日を生きる』秘訣

ありのパパ自身が「今日は失敗したな」と思うときは、たいがい『今日一日を生きる』ということに焦点を合せていないときが多いことを思わせられます。
もし私たちが「今日一日を生きる」ということに焦点を合せることが出来るなら、人生を変えることが出来るのではないでしょうか?
それで今日は皆さんとご一緒に、『今日一日を生きる』秘訣を考えてみたいと思います。

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1.過去を忘れること。(考慮の対象外にする)

①過去を忘れるとは、文字通りの意味ではなく、過去を赦すことです。

忘れるなどということは誰にも出来ません。
良く夫婦喧嘩などで「お前は赦すと、あのとき言ったのに、何かあるたびに持ち出す」と夫が妻に向かって言います。
これは女性が執念深いのではありません。
男性が忘れやすいだけです(笑)。
忘れやすい男性であっても、自分が傷ついたことに関しては決しては忘れませんから、お互い様というところです(笑)。

聖書が教える「忘れる」とは、一端忘れると決心したら二度とその問題を持ち出さないということです。
これが聖書的忘却の教えです。
皆さんは、如何でしょうか?
何かあるたびに持ち出してやろうと、虎視眈々と狙っているということはないでしょうか(笑)。

②過去の自分の失敗を赦す。

本当は失敗でないのに、人から失敗であると責められると、段々と自分の失敗であると思い込んでしまうということがあります。
これはその責める人が、人に罪を着せるプロフェショナルと言いますか、このような人はどこにもいるものです。(どこにもいるからと言って、それで良いと言っているわけではありません。)

自分の本当の失敗と、人になすり付けられた失敗を見分けることが大切です。
そして本当の失敗については、イエスの十字架によって罪はみな赦されたのですから、その罪が思い出されるたびに、赦しを適用することです。

③他人の失敗を赦す。

同様に他人の失敗を赦すことも大切です。
ただし、幾つかの注意が必要です。
a.それは誰かの強制であってはなりません。聖書の教え込みであってもなりません。
b.相手のために赦すのではなく、自分の精神的・霊的な健康のために赦すのであることをはっきりさせる。
c.相手の存在を赦すことと、その人がやったことを許すのは、全然違うことです。
赦したからと言って、許したわけではないゆえに、法的な損害賠償の権利も、道義的な謝罪を要求する権利も放棄したわけではありません。

2.未来を心配しない。(責任範囲の対象外にする)

①未来を心配しないとは、未来に起きるであろうことを考えて恐れを抱かないことです。

子供のときは誰も未来を心配しないものです。
将来に対して漠然とではあっても、希望を抱いています。
それがいつの頃か、成人するにしたがって未来を心配するようになります。
なぜかと言うと、過去に失敗した経験に対して感情的な処理が適切に行われていないと、また同じ失敗をするのではないかと恐れを感じるからです。

②自分が犯すであろう失敗を赦す。

将来もやっぱり自分は失敗するかもしれません。
しかしそれでも良いのです。
なぜならイエスが十字架ですべての罪を赦してくださったからです。
このように自分に言い聞かせていくと、不思議に将来への思い煩いから解放されていきます。
どうぞ、騙されたと思って試してみてください(笑)。

③他人が自分に対してまたひどいことをするのではないかという恐れを抱かないこと。

特にアダルトチルドレンですと、また誰かが自分を傷つけるのではないかとコントロールできない恐れを抱くものです。
これがアダルトチルドレンである所以(ゆえん)なのですが、このからくりから抜け出すことがどうしても必要です。
アダルトチルドレンがなぜ突発的に怒り出すかと言うと、自分はまた不法な取り扱いを受けると、心の中でうすうす覚悟しているからです。
この覚悟は本当のことを言えば妄想でしかありません。
ひとり相撲であり、一人芝居を演じているだけです。

ですから二つのことが必要です。
一つは妄想から抜け出すこと。
二つは本当に人から傷つけられる場合でも、キリストの十字架で赦すと決心することです。
そうすると、キリストがどれだけ自分に対して配慮してくださっているかが身に沁みてよく分かり、感謝が出てくるようになります。

3.今日を見る。(今日を楽しむ)

①なすべきことを淡々となしていく(平常心ということ)。

今日やるべきことを紙に書いて、一覧表にします。
そして朝から、その一覧表に基づいて行動し、終わったら印を付けていきます。
全部終わることはないかもしれませんが、それでも構いません。
一日が終わったとき、なし遂げることが出来た仕事の多さに感謝がひとりでに湧き上がってくるでしょう。

②「こうあるべき」という生き方から「寄り添う生き方」への転換。

今日一日だけを生きさせない最大の障害の一つは、自分にも人にも、こうあるべきという物差しを当てていることです。
これをやっている限り、「今日一日を生きる」などは夢物語でしかありません。
なぜなら、こうあるべきと考えた瞬間から、「あなたは過去の問題に対してはこうすべきであった」「未来の問題に対してはこうすべきである」という要求が次から次へと出てきて、今日一日を生きるどころの話ではなくなってしまうからです。

ありのままを受け入れるとは、言葉を変えて言うなら「寄り添う生き方」と言うことが出来ます。
要求があったら、口が出ます。寄り添うなどは出来ることではありません(笑)。

③感謝をもって一日を閉じる。

一日を閉じるに当たって、神のお力添えで処理することが出来た仕事を見て、感謝を献げます。
そして未完成で終わったこと、手を付けることが出来なかったことを、検討してみると良いでしょう。
そうすると、不思議に「じゃ、今度はこうやってみよう」とアイデアが与えられます。
そして感謝と満足と信頼をもって眠りに就くことが出来ます。

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