聖書が教える生命あふれる、しかも実際的な信仰とはどんなものか?

現代のクリスチャンが持つ疑問に、聖書に登場する信者たちは生き生きとしているのに、なぜ私たちは見すぼらしく輝いていないのだろうかというのがあります。

この問いに答えるために様々な信仰運動が登場してきました。
ホーリネス運動も、ペンテコステ運動もそうですし、「聖霊第三の波」の運動もそうです。

しかし聖書を良く読むと、聖書が書かれた時代にも色々な問題があったことが分かります。
聖書はその問題に対して使徒たちがいかに取り組んだかを記している書物であると言ってもよいものです。
それで今日は皆さんとご一緒に、聖書に記されている事例を見ながら、どのように解決していったのかを見ていきます。

1.ユダヤ人指導者層の入信者の信仰の不徹底さ

『ユダヤ人指導者の多くの者がイエスを救い主として信じた』[ヨハネ08:30](現代訳聖書)

ヨハネの福音書を見ると、すでにイエス御在世当時にユダヤ人指導者の多くがイエスを信じる信仰をもっていたことが分かります。
しかしこれらの者たちの信仰は不徹底なものだったようです。

なぜなら、イエスに『わたしの教えた通りの生き方をしていくなら、あなたがたはわたしの弟子です』[08:31]と駄目出しをされているからです。
イエスは指導者に厳しかったのでしょうか?
そうではありません。

従順が伴わない信仰は死んだ信仰ですが、ユダヤ人指導者の信仰はまさにそれでした。
「信じてやっても良い。だけど私の考えは絶対である。またあなた(イエス)は私に従うべきである」というのが彼らの信仰の本質でした。
その証拠にイエスを信じつつも宗教的プライドに支配されていた彼らはイエスに楯突いていることが、そのすぐあとの個所に記されています。

2.社会的制裁をも覚悟して信じる人々

『イエスを救い主と告白する者は誰でも会堂から追放すると公言していた』[ヨハネ09:22]

当時のユダヤ社会に生きる普通の人々は社会生活が営めなくなることを恐れました。
その当時は宗教組織が行政組織と律法組織と司法組織を兼ねていましたから、ユダヤ教社会から破門されると生きていくことが困難になりました。

戦前の我が国でも同じようなことがあったと聞いています。
葬式で焼香をあげないと村八分にされるので仕方なく焼香をあげたなどの話は多くあります。
また日本基督教団への強制加入に際しては神道原理主義政府の言いなりになりました。

ではキリスト者が生き延びるためには時の権力に妥協することは致し方ないことなのでしょうか?
もしそうなら聖書にはっきりとそのように書いてあるはずです。
しかし聖書には逆のことが書かれています。

イエスはご自分の羊の声を聞いてくださいますし、私たちもイエス様の声を聞くことができるのです。
囲い(ここではユダヤ教社会を指す)から出なくてはいけなくなっても、イエスが良き羊飼いとして私たちの先頭に立ってくださり、命がけで守ってくださると聖書には書かれてあるのです。

「いやこれはそのような意味で書かれている個所ではない」と言われるかもしれません。
しかし、まさにこの個所はイエスを信じるなら社会から追放されると怯えている人に向けて語られている個所なのです。
二千年前にもイエスを信じると社会的生命が断たれる危険がありました。
そしてそのような人に向かってイエスは「大丈夫。私があなたがたの先頭に立ち、あなたがたを命がけで守る」と仰るのです。

3.イエスを信じる者の心のありようとは?

①自分自身をありのままに受け入れ、隣人をもありのままに受け入れる

ユダヤ人指導者の入信者の信仰の不徹底さはイエスを信じる信仰と生き方が遊離しているところに原因がありました。
彼らはイエスを信じたあとも救われるための努力である律法を守ることを止めませんでした。
もう既に救われているにもかかわらずです。

現代に生きるクリスチャンにとっての試金石はイエスが救ってくださった自分自身をありのままに受け入れているかどうかということです。

またこのことは隣人との関係にも反映します。
自分自身をありのままに受け入れていない人は、隣人をありのままに受け入れることが出来ません。
ですから鍵はイエスがそのままで愛してくださった自分自身を自分が受け入れているかどうかに掛かっていると言えます。

『わたしは社会の光です。わたしに従う人は決して暗闇の生活(罪に支配された生活)をすることなく、命の光(罪から解放する神の力)を持ちます』[ヨハネ08:12]

②福音を宣教する使命を果たす

宣べ伝える人がいなくて、どうして福音を信じることが出来るでしょうか?
神は価なしに救われるという御言葉をクリスチャンの宣教に委ねられました。
宣教の愚かによって人々を救うことを神は定められたのです。

『不信の者たちは永久に私の行く所(天の御国)に来ることはできません』[ヨハネ08:21,24]
『神の子であるわたしを信じ、悔い改めなければ罪のために滅んでしまいます』

人は生きている間に決断しなければならないことが明らかに記されています。
ここには万人救済論が出てくる幕は全然ありません。
自分の好きなところは受け入れ、気に食わないところは受け入れないというのがユダヤ人指導者の信仰の内実でした。
私たちが同じ間違いを犯してはなりません。

イエスは社会状況をあらかじめ予想された上で指導をされておられました。
そしてこの指導は今の時代に生きる私たちにとっても有効なものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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