フリーメイソンとキリスト教

今日は皆さんとご一緒に、フリーメイソンとキリスト教の関係について考えてみたいと思います。
フリーメイソンといえば、日本ではユダヤ人陰謀論と並んでフリーメイソン黒幕説など、おどろおどろしいイメージがあります。
しかしアメリカなどですと、アメリカ建国の父と呼ばれる人々の過半数がフリーメイソンでした。
ですから陰謀論などと結びつけられて考えられるのは、西洋先進国では日本だけだそうです。
ところでフリーメイソンの綱要には「会員相互の特性と人格の向上をはかり、よき人々をさらに良くすること」とあります。
これはどういうことかと言うと、会員が切磋琢磨して、人格の向上を図り、善き人々となるのが目標であるということです。

またフリーメイソンは入会に際しては、宗教に入信していることを厳格に求めます。
要するに無神論者は入会できないということです。
一見結構なことのようにも思えます。
しかし前提となる人間観がキリスト教の理解とは全く異なります。

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1.12ステップとの対比

アルコール依存症をはじめとする様々な依存症治療に用いられる12ステップです。
ステップの1は、自分の力ではある領域の事柄をコントロールすることが出来なくなったことを認めることです。
フリーメーソンの綱要が「私たちは人格向上を図ることが出来る」と考えるのと対照的です。
人格を向上させることができるという考えの中に、人間の傲慢さが潜んでいないでしょうか?

2.キリスト教との対比

①福音主義キリスト教が最も大切なこととしている一つは、悔い改めと回心経験の強調

悔い改めとは、原語からの言葉の意味は方向転換ということです。
方向転換とは生き方の転換であり、それは自分中心の生き方から神中心の生き方への転換です。

もう一つの大切なことは、キリストを信じる以前の生活が罪の奴隷であったのを認めることを象徴する、具体的な罪の言い表しです。
これは人に対してなすべきものではなく、神に対してなすべきものです。

②人間は無力か、それとも有力か?

回心経験とは、自らが救われた確信が無いなら信仰生活を送ることができないのを知っておられる神が与えてくださるものです。

悔い改めも回心経験もどちらも「罪に対して無力な存在である私たち」ということを前提にしています。
フリーメイソンには、この前提となる無力の告白がありません。
ないどころか、私たちは成長することが出来るという、神様抜きの人間性への全幅の信頼があるように見えます。

◎アメリカのフリーメソジスト教会はメンバーが秘密結社に所属することを禁止していますが、これはフリーメイソンを指していると言われています。

3.フリーメイソンの本質的特徴とは?

①アニミズム(多神教)である

フリーメイソンは会員に、特定の宗教を強制しません。
仏教でも、マホメット教でも、ユダヤ教でも、何でもござれです。
それもそのはずです。
なぜならフリーメイソンの本質的特徴がアニミズムだからです。
アニミズムは、人間が作った人造宗教ということです。
そこではあくまで主役は人間であり、神々は人間の宗教心を満足させる召使に過ぎません。

②キリスト教を単なる市民宗教に変質させる

キリスト者であって、フリーメイソンであるということは可能でしょうか?
ありのパパはこれは不可能であると思います。
その証拠にフリーメーソンに所属するキリスト者の信仰は一様に福音的なものではなく、市民的信仰(市民宗教)です。
市民的信仰とは、社会の善き市民を目指すための道徳律を提供する役目だけを持つものです。

③世俗主義である

市民宗教は、必然的に世俗主義をもたらします。
世俗主義とは、信仰を心の中だけにとどめ、世の中のことは世の中を支配する原理によって律していこうとする考え方です。
世俗主義は原理主義よりはましな存在であるかもしれませんが、キリスト信仰を徹底的に無力化する教えです。
なぜならイエスはご自分を信じる者たちが、社会の中から罪と悪を取り除くことを命じておられるからです。
キリスト教から心と行動の一致という生命線を取り除いたら、あとには死骸しか残りません。

◎フリーメーソンが目指してきた人格的向上による世界平和という目標は遠のくばかりです。
代わりに自分の無力を認め、神になら私を救うことが出来ると信じ、神に意志と生き方を委ねた人々による平和が、実現に近づいているように見えます。
平安と祝福を祈っています。

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