罪の奴隷と依存症

ありのパパにとってはカウンセリングとキリスト信仰は一体のものです。
しかし人によっては、両者の関係が明らかでないという方もおられます。
そこで今日は、カウンセリングで使う言葉と聖書が使っている言葉で、実は同じ意味で使われている言葉があるのを見ていきたいと思いす。
そうすることによって、両者がいかに密接に結びついたものであるかが分かると思うからです。

目次

スポンサーリンク

1.罪の奴隷とは?

①聖書には『罪を犯し続けている者は皆、罪の奴隷です。』[ヨハネ8:34]とあります。

この聖書個所は神学者が解釈するのに困難を感じるところです。
なぜなら人間であるなら、「私は罪を犯していない」と言える人は一人もいないからです。
しかし救いとは罪からの救いであると、聖書ははっきり教えています。
とすると、この個所は釈義不可能な場所になるわけです。

②罪を犯し続けるとは、罪に支配されている状態です。

ある神学者は人は死ぬまで罪を犯し続ける存在であると言います。
しかしありのパパはこの意見は詭弁であり、誤謬であると考えています。
なぜならこの意見では、救いは不完全なものであるという理解になるからです。
この神学に立つ人々は、自身の意見の不完全さを補うため、神学的な補強をしておられますが、それでも十分であるとは言えません。
死ぬまで罪を犯し続けると言った途端、人はいともたやすく罪の誘惑に飲み込まれていくと思います。

③では聖書の教えを矛盾なく理解する釈義はどんなものでしょうか?

現代の言葉で言えば、罪の奴隷とは何らかの依存症になっている状態を指しているのではないかということです。
この理解ですと、罪の奴隷という言葉の意味が良く通ります。
確かにアルコール依存症の人は、飲酒という罪の奴隷になっているのです。

2.罪の奴隷と依存症の関係

①気を付けないといけないのは、全ての人が罪人だからといって、全ての人が依存症であるわけではないということです。

また依存症になっていなくても、罪の奴隷であることには変りがないということです。
しかし止めたいと思っても中々止められない悪習慣に染まったことがある人にとっては、罪の奴隷という言葉の意味は説明不要なものです。
なぜなら「そんなことわざわざ言われなくても、経験済みだ」ということです。

②以前なら依存症と言われなかったようなものが、次々と依存症リストに加えられつつあります。

昔なら只の買い物好きと呼ばれるだけだったのに、クレジットカード限度額一杯まで買い物をし、クレジット会社から使用停止処分を喰らうような人々は、現在では買い物依存症と呼ばれます。
また昔は頑固親父が、ちゃぶ台をひっくり返すなどはありふれた光景だったのですが、今こんなことをやったらDV男と呼ばれます。
昔であれば癇癪持ちは正義漢が強いからとか言われましたが、今であれば突発性の怒りをコントロールできない人というレッテルが貼られます。
依存症を当たり前のこととして許容する社会から、依存症を治療対象として考える社会へと変容しつつあるのが現代であると言えます。

③罪の奴隷という言葉と依存症という言葉を同一のものとして見ていくとき、イエスの言葉を初めとした聖書の言葉がよく分かるようになります。

イエスは『奴隷はいつまでも、その家にいられるとは限りません。しかしその家の子であるなら、いつまでもいることが出来ます。』と言われました。
この個所も釈義が難しいと言われています。
しかし「神の家の子どももされているにもかかわらず、依存症のままでは神の家にいつまでもいられるとは限りません。」と釈義するなら意味が通ります。

スポンサーリンク

3.ではどうしたら良いか?

①アルコール依存症者の自助グループであるAAは、クリスチャンであったにもかかわらずアル中から抜け出すことが出来なかった人々によって始まったものです。

自助グループは原則として無宗教ですが、これらのグループでは皆例外なく祈りで始まって、祈りで終わります。
ありのパパなどは心の中で「教会より、教会の集会らしい(笑)」と感じることもあるほどです。
自助グループに出席する人々は、クリスチャンになる人がとても多いようです。
(ただしカトリックです。これは日本でAAを始めたのが、ご自身がアル中になったカトリック宣教師であったことが強い影響を与えていると思います。)

②現代に生きるクリスチャンの大きな悩みは、自分がクリスチャンらしくないということではないでしょうか?

何か自分がしっくり来ないのです。
それで信仰の体験談を頼まれたりすると、しり込みしたり、「いや、お恥ずかしい」と言ってみたりします。
ありのパパなどは「何が恥ずかしいのか!言ってみよ。」などと内心不愉快になることがあるのですが、そう言わざるを得ない気持ちも理解できます。

③演じるクリスチャン・頑張るクリスチャンから、生かされているクリスチャンになるためにはどうしたら良いでしょうか?

それはキリスト教入信後、12ステップなどを用いて自分の心を整理していくことです。
アダルトチルドレンならアダルトチルドレンのための12ステップがありますし、アル中・薬中なら元祖の12ステップを使うと良いでしょう。
皆さんは、「クリスチャンが薬中なんて、あり得ない」と思っておられるかもしれません。
しかしアメリカなどでは薬物に苦しむ沢山のクリスチャンがいます。
日本でも大麻汚染が深刻化しているのを見ても、この波が教会に押し寄せてくるのは時間の問題でしょう。
そうなってから、あたふたしないためにも、今のうちに自分で12ステップをやっておくことです。
そうしたら教会に依存症の方がやってきたとき、しっかりとした対応をすることが出来ます。

どうぞコメントをお残しください。初めてコメントなさる方は必ず自己紹介をお願いします。自己紹介のないコメントを承認することはありません。詳しくはメニューの「コメントしてくださる方へ」をご覧ください。