聖書が教える異言の祈りは五つのスピリチュアルな効果をもたらす

アメリカ製のドラマを見ていると、言い合いをしていて負けそうになると「あばばばば」という言葉を発するのを聞くことがあります。

ひょっとしてこれはペンテコステ教会で行われている異言の祈りをもじっているのではないかと思うのですが、如何でしょうか?

まぁ、それぐらい異言の祈りが未信者にとっても一般的になっている証拠かもしれません(笑)。
今日は皆さんとご一緒に、異言の祈りの効果について考えます。

1.聖霊に満たされ続けるために異言の祈りが必要

聖霊充満は聖霊のバプテスマによって実現します。
通常、聖霊充満のとき感情的に高揚することがあります。
それで気分が高揚することが聖霊充満かと錯覚することがあります。

宗教体験において感情を過度に求めることは健全なことではありません。
これを求め続けることはカウンセリングの視点から見て、偏り感の強い人格を形成してしまう危険があります。
異言の祈りをするとき、(特に大集会などで)興奮状態で祈る人々がいます。
これは聖霊充満を求めているのではなく、興奮状態を求めているのです。

異言の祈りは、聖霊のバプテスマにおいて実現した聖霊充満を維持するために、神がお与えてくださったものです。
ですから与えられた目的をわきまえて使用しなければなりません。
感情が高揚してもしなくても、異言で祈るとき聖霊に満たされ続けることが出来ます。

2.神との人格的交わりのために異言の祈りが必要

人間の言葉だけでは、神との人格的交わりのためには十分ではないと感じる方が多いのではないでしょうか?
もしそのように感じておられるなら異言で祈る賜物を求めてください。
そうするなら人格的交わりの何たるかを実感されるでしょう。

3.空虚感の解消のために異言の祈りが必要

人の心の中には、神でなければ満たすことの出来ない空虚感というものがあります。
ある人はその空虚感を満たすために、快楽を求めたり、お金を求めたりします。
またある人はドラッグに走ります。

しかし得たものは空虚感の解消ではなく、空虚感を紛らわすものでしかないことに気づきます。
クリスチャンであっても空虚感を満たすことが出来ないでいる方も多いでしょう。
異言で祈ることによって空虚感を神の愛で満たすことができます。

4.精神的自立のために異言の祈りが必要

精神的自立のために必要なものは一つではありません。
その中の一つに、異言で祈る賜物を活用することによって神と直付け(じかづけ)の関係を構築することが挙げられます。
神に支配されない限り、神以外の何者かに支配される危険があります。

5.心の傷の癒しのために異言の祈りが必要

カウンセラーに向かって、クライアントが自分の心の傷を述べるのは思う以上に骨の折れる作業です。
(そうだからといって、カウンセリングをしないで良いといっているわけではありません。ただ人間同士が行うことにはメリットもあるが、限界もあるということを申し上げたいのです。)

異言で祈るとき、私たちの霊は聖霊の言い難きうめきによって神に自分の心の傷を申し上げることが出来ます。
異言の祈りを何十年も続けているペンテコステ派クリスチャンを取材してみると、人格的健全さを強く感じます。(もちろん残念ながらそうではない方もおられます。)

異言の祈りはあってもなくても良いものではなく、必ずなければならないものです。
このブログをお読みになられる全ての方に、異言で祈る賜物を求めるよう心からお勧めします。

◎平安と祝福を祈っています。

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