引き寄せの法則を使って夢を実現しようとする時の注意点を再確認する

ある人は願うだけで願いごとが叶うと言い、ある人は願うだけでは白昼夢と同じであると言います。
皆さんは、どこら辺に真実があると思われますか?
今日は皆さんとご一緒に、願い事を実現する方法を考えます。

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1.叶えられる願望と、妄想に終わってしまう願い事

①性格上の欠点の問題

誰にも性格上の欠点というものがあります。
「何とかしなきゃ」と思っているだけでは、死ぬまで変わることはありません。

性格上の欠点が恨みや恐れをうみます。
恨みや恐れは私たちが神と共に生きようとするときの障壁になります。
この障壁をそのままにして、いくら祈っても、いくら努力しても無駄です。

②家族の救いの問題

ある婦人が自分のお子さんが教会から離れていることに関して「神様に委ねています」と言いました。
これを聞いてありのパパは何とも言えない違和感を感じました。
問い返したかったのは「委ねているだけ?あなたは何もしないのですか?」ということでした。
願うだけで、自分は何もやらないとしたら、その願いが叶えられることは決してありません。

③仕事の目標の達成

歯を食いしばって目標を達成する人と、気が付いたら色々な願い事が聞かれていたという人がいます。
同じ生きるなら、後者の方が良いのではないでしょうか。
なぜかと言うと、前者の生き方では、目標以外のすべてのものを犠牲にしなければならないからです。
目標が会社の中にある時、たとい目標が達成できても、家族はバラバラ、仕事以外に生きがいがない寂しい人生ということになりかねません。

2.願っても叶えられない原因

①教会成長運動のこと

かつての教会成長運動は「ビジョン(夢)こそが奇跡を起こす力である」と教えました。
多くの福音派教会は、その通りにしたのですが、夢が実現することはありませんでした。

現在、教会では不祥事が続発しています。
そのような事件の背景には「教えられた通りやってみたけれど、うまく行かなかった」という思いがあり、神に頼ってうまく行かないのなら、肉的な力に頼ってでも実現してしまおうとする考えがあるのではないでしょうか?

しかし回らないからといってハンドルを力任せに動かしてもハンドルが壊れるだけであるように、人間的な力に頼るごり押しは、結局人々と教会に傷を残すだけの結果しか残しませんでした。

②教会成長運動失敗の原因

教会の成長を真に願うなら、聖書信仰以外のすべてのものを捨てる覚悟が必要です。
教会成長運動が失敗に終わった理由は、結局のところ、捨てる覚悟なしに夢だけを神に願ったことではないでしょうか。
祈り願った時、様々な気づきを神様は与えてくださいました。
しかしその気づき(ある時は指示)を私たちは無視したように思います。

3.どうしたら願いは実現するのか?

①楽しんでやる

これは難しいことではありますが、楽しんでやらないと良いアイデアが浮かびません。
苦虫をかみつぶしたような顔を突き合わせても、なかなか良い解決策が浮かぶものではありません。

会社勤めや自営業なら、その仕事が好きであるということが大切です。
「嫌いな場合はどうすりゃいいんですか?」と言われると、答えに困ります(笑)。

でも嫌いな仕事はいつか辞めるときが来ると思うのです。
その神の時が来るまでは、嫌いであっても一生懸命仕事に身を入れるべきでしょう。
そして神の時が到来したら、新しい仕事にチャレンジすることです。

②目標を持つと現実が変化する

この「ありのままブログ」も訪問者数の目標を持たなかったときは、訪問者数は横ばいでした。
それが目標を持つようになると、立てた目標をクリヤーするようになりました。

③目標を立てて、改善出来ることを一つ一つコツコツとやっていく

妄想や白昼夢と違うところは、実践が伴うかどうかということです。
教会で時々聞くのが「こんなに祈ったのに神様は願いを聞いてくださらなかった」というものです。
ありのパパはそれを聞くたびに心の中で「願っただけ・祈っただけでは、祈っていないのと同じ」と突っ込みを入れます。
祈ったら、主は必ず応答してくださり、具体的な指示を与えてくださいます。
その指示に従わなければ、神の奇蹟はあなたのところで停まっているということになります。
目標を明確にし、実現に向かって現実的な歩みをすることが、願いを実現させる生き方です。

◎平安と祝福を祈っています。

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