公立学校の教員の信仰の自由について

東京都の公立高校の音楽の教師が君が代の伴奏を拒否したことが、服務規範の違反に問われた事件がありました。
この裁判は最高裁まで行き、2007年に原告敗訴の判決が確定しました。

この教師のお父様は牧師であり、戦前に国家によって弾圧された経験をもっています。
それで君が代を伴奏しようとすると、父親が弾圧された光景を思い出してしまい、どうしても伴奏は出来ないと拒否しました。
それが罪に問われたのです。

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1.個人の内心の自由が侵害された理由

新自由主義にもとづく経済政策によって国内の所得格差がますます拡がったために、神道原理主義的な政策によって国民の不満をそらそうとする意図が背景にありました。
国歌・国旗法が成立するとき、その時の官房長官だった野中広務は「決してこの法律によって、現場の教職員の信教の自由を侵害することはしない」と約束しました。
しかし国歌・国旗法が成立すると、その約束はすぐに反故(ほご)にされました。
典型的な神道原理主義の政治家である石原東京都知事の下、自民党と公明党が多数派を占める都議会は都の教育委員会に圧力をかけ、国歌・国旗法を利用して公立学校の教員の信教の自由を侵害し始めました。

この動きの行き着くところは、戦前と同じような神道原理主義による国家支配です。
私たちは二度と再び、我が国が神道原理主義によって支配されることを許してはなりません。
全ての学校の先生に、内心の良心にもとづいて国旗掲揚を拒否する権利があり、国歌伴奏を拒否する自由があります。

2.学校の先生の信仰を侵害しない教育行政を実現するために

教員志望のクリスチャン学生は、公立の学校では信仰が侵害される恐れがあるため、私立の学校を選ぶようになっています。
しかしそれでは私立の教員の信仰は守られますが、公立学校の教員や生徒の信教の自由は侵害されたままです。
どうしても公立学校においても、教員と生徒が良心を侵害されないようにすることが必要です。

そのためにはどうしたら良いでしょうか。
まず都知事が変わることが必要です。
神道原理主義の政治家ではなく、民主主義の原理にもとづいた政治家が都知事になることです。

絶大な人気を誇った石原都知事ですが、税金を湯水のように使ったオリンピック招致が散々な失敗に終わったことにより、その人気にも陰りが出てきました。
2011年の4月に次の都知事を選ぶ選挙がある予定です。
来年の4月まで、今の民主党人気が続いているかどうかは分かりません。
しかし日本の首都から、神道原理主義を一掃しなければならないことだけは確かなことです。

気を付けないといけないことは、民主党関係者の中には多くのキリスト教徒がおりますが、神道原理主義者も少なからずいるということです。
今の埼玉県知事は以前は民主党の代議士でしたが、従軍慰安婦の存在を否定する妄想と捏造の歴史観を弄ぶ人です。
こんな人を東京都知事にしては絶対になりません。

国家レベルでは民主党が政権を取っており、東京都議会も民主主義勢力が多数を占めています。
これで都知事さえ変われば、以前のような個人の信条・信仰の自由に配慮した教育行政の復活が可能です。

3.行動するクリスチャンとなろう

①まず祈りましょう

福音主義キリスト教は、クリスチャンがこの国で多数派を占めることが様々な問題の究極的な解決の鍵であると考えます。
そのために私たちは祈っていく必要があります。

②祈って御心を示されたら従おう

物事が成就していくには、たといそれが神の業であったとしても段階的に実現されます。
祈って、聖霊が働いて、リバイバルが起きて、それですべてがうまく行くのではありません。
トランスフォーメーションにしても、前段階として教会の悔い改めがありました。
それは教会とクリスチャンが宗教の殻に閉じこもって国内にある問題から目をそらしていたことへの悔い改めでした。

祈ったけれども御心が示されないとしたら、それはどこかに故障があるのです。
もし本当に神の業を見たいと願うなら、自分の考えのどこに故障があるか捜し当てなければなりません。

③リベラル派キリスト教会の本領の見せ所

もし彼らが自分たちの教団に属するクリスチャンの音楽教師を支援することをしないとしたら、やはり彼らは口だけの者ということにならないでしょうか?

◎この音楽の先生も、旧約聖書に出てくるバラムとロバの物語のロバではないでしょうか。
私たちに見えないことが見え、私たちが気づかないことを気づいた人です。
もし私たち教会が、彼らの叫びに耳を傾けないなら、再びこの国を戦前の惨禍に陥れることになるでしょう。
平安と祝福を祈っています。

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