だみ声で歌っても聖歌。美声で歌っても賛美歌。なんでかな?

ありのパパは音楽が苦手です。
それで神学校に通っていたとき、音楽の授業が苦痛で仕方ありませんでした。
そんなありのパパも、聖歌を大きな声で歌うのだけは大好きなのです。
人によっては怒鳴っていると受け取る人もおりますが(笑)。

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1.梨畑の道を賛美しつつ歩む

勤めが終わって帰るとき、最寄り駅から自宅までの道のりを毎日讃美歌を歌って帰りました。
その当時は(30年位前)駅から自宅への道は梨畑(なしばたけ)の真ん中を通っていました。
夏祭のシーズンになると、梨畑の端っこに建てられた掘っ建て小屋で、町の青年団の会員が笛太鼓(ふえだいこ)の練習をしていました。
こんな文章を書いていると、自分でも「一体いつの話や!」と思うのですが、1970年代のことです。

その日も讃美歌を歌いながら家までの道を歩いていますと、ありのパパの前を歩いていた男性が振り返り、何かを言おうとしているのです。
とっさに苦情でも言われるのかなと思いましたが、そうではありませんでした。
その男性の話によると、何でも男性の家はありのパパの帰り道のどこかにあり、男性の奥さんがありのパパが歌う讃美歌を「今日は何を歌うのかな?」と楽しみにしているというのです。
「ビックリ仰天」とはこのことです。
それからは歌うたびに、喉の調子をチェックし、一層声を張り上げたのは言うまでもありません(笑)。

2.幼き子らに神の愛は宿る

次のお話はつい最近あったことです。
ありのパパは電車に乗るとき、PDAにmp3ファイルを入れて音楽を聴いています。
その時はたまたまグレゴリオ聖歌でした。
スペインで爆発的にヒットしたというCDを取り寄せて、それをPDAに入れていました。

ある時、電車に乗っていると、小学校低学年の兄妹がありのパパに話しかけてきました。
「その任天堂DSみたいな機械(PDAのこと)で何してるの?」と言うわけです。
それで「音楽聞いているんだよ」と答えると、「わたしも聞きたい」と言います。
お腹の中では「グレゴリオ聖歌なんか聞いても仕方ないだろうに」と思ったのですが、子供にイヤホンを渡して聞かせてあげました。
そうしたところ、何とその女の子は顔に満面の笑みを浮かべて、肩の力を抜き、全身リラックスして、グレゴリオ聖歌を味わっているではありませんか!
「うっとりする~」と女の子。
ありのパパはグレゴリオ聖歌を単なるBGMとして聞いているだけであり、別に感動もしないのです。
幼子の率直な感性に完敗したというところでしょうか(笑)。

お兄ちゃんはお兄ちゃんで、その電車はたまたま瀬戸大橋の上を走っていたのですが、その美しい光景を見て「こんな素晴らしい自然を誰が造ったんだろうね?」と聞いてきます。
それで当然のことながら、ありのパパは「神様。」と答えます。
その答えにも、お兄ちゃんは何ら動じることがありません。
「そうかもね~」という感じです。
もしかしたら、この幼い兄妹のご両親はクリスチャンであったのかもしれません。

ありのパパには、歌に関して思い出が一杯あります。
楽しい思い出もありますが、恥ずかしい思い出も実は一杯あります(笑)。
去年の年末にグレゴリオ聖歌風のゴスペルを録音したものを送ってくださった、ブログ読者の方がおられました。
その賛美を聞きながら、懐かしい思い出に浸らせていただいたことでした。
皆さんにも讃美歌に関して様々な思い出が、おありだと思います。
よろしかったらコメント欄にてお知らせくだされば幸です。

主にすがる我に、重荷はなし。
歌いつつ歩まん、この世の旅路を。

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“だみ声で歌っても聖歌。美声で歌っても賛美歌。なんでかな?” への2件の返信

  1. パパさま、今晩は、すばらしい お証ですね。

    わたしところも年配の方が多ございますので、聖歌、賛美歌は よく使いますよ
    わたしも、今風ワーシツプを担当することも ありますが、やはり年齢と ともに、この文語体の美文には心射たれるものが ございます。
    先週も

    「日も暮れなば 石の枕
    仮寝の夢にも御国 偲ばん」

    この賛美の最中、思わず 落涙を催し、なんか照れくさかったですよ。

    もう昇天されましたが、パパさまと同じく 信仰を持って大声で賛美される、素晴らしい、ご婦人がおられました。
    これがまた、ダイナミックかつ強烈に音程外れまくりなのです。
    無理に歌おうとせずに歌詞を そのまま読んで 下されば よいのですが。
    ぼくまで、引きずられそうでした。

    兄弟姉妹といえども、長幼之序は重んぜねばならず、直接 注意することなど とても出来ません。
    どうかこの姉妹が、集会秩序を乱す、破壊的賛美を お控え下さるように と 心の中で祈ったことも ありましたが一向に 変わりません。 諦めました。

    イエスさまが、これを許され、この方を愛されているのだ。
    わたしも、この方を許し 愛そう と決心しました!
    たとえ妨害系賛美であったとしても、み使いの歌も かくやありなん!
    そう思うことが できれば人生 勝ったようなもんです。

    この一年 喜びと勝利の賛美が パパさまと 共にありますようにと祈ります。

  2. 岡田さん、こんばんは。
    コメントありがとうございます。

    私も今から思うと、なぜあんなに大きな声で歌っていたのか、理由がわかりません。
    岡田さんと同じく、私の教会の人々も良い人々であり、誰一人いやな顔をする人はおりませんでした。
    そこにも神の愛が働いていたのだと、改めて思う次第です。

    今年一年もよろしくお願いします。
    岡田さんの美声も用いられますように。

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