聞き上手になったときに起きる三つの奇蹟をご紹介します

今日はみなさんとご一緒に聞き上手になろうというテーマで考えてみたいと思います。

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1.聞き上手になれない理由

①我慢できずに、こうあるべきという自分の考えを話してしまう

私たちは人の話を聞いていて、自分の考えと違うことを言われると反論しがちです。
議論しているときはそれで良いのですが、日常生活でこれをやると周りの人は迷惑します。

絶対に自分の考えを述べてはならないのは、カウンセリングをしているときです。
例えばリストカットしている人が相談に来ているときに「自分のからだを傷つけることは罪です」と責めてはなりません。
なぜなら誰もリストカットしたくてしているのではないからです。
「してはならない」と言われて、それで改めることが出来るなら、誰も相談になど来ないということを肝に銘じておかなければなりません。

②つい自分の話をしてしまう

相手のお話を聞いていて、自分にも同じような体験があると共感が湧き起こります。
それは良いのですが、自分の体験を話したいという誘惑に負けてしまうことがあります。
これをやってしまうと、なぜいけないのかと言うと、相手の方はお腹の中で「今は私の話をしている。あなたの話などは聞きたくない」と思うからです。
あなたがそう思わないのは、あなたに余裕があるからであり、相談に行かないといけないほど追い詰められている方には余裕がないのです。
余裕がない人に自分の体験談を語って聞かすことほど、相手をイライラさせることはありません。

③本当は分かってないのに判ったと勘違いしてしまう

相手のお話を聞いていると「わかった!」と感じるときがあります。
しかしそのようなときに限って、分かってなどいないものなのです。
ありのパパにも経験があるのですが、同僚のカウンセラーとお話をしていて「あぁ、わかった!」と何度もその方は仰るのですが、確認すると実は何も分かっていないのです。
たまりかねて「あなたが『わかった!』というときに限って、あなたは何も分かっていないよ」と言ったことがありました。
しかしそれにもかかわらず、その方は「今度は本当に判った。間違いない」と懲りずに『判ったの戦い』を繰り広げていましたが、全戦全敗でした(笑)。

2.どうすれば聞き上手になれるか?

①聴くことが自分に出来る最高のことであると知る

一生懸命に話を聞いてもらうと、話を聞いてもらった人に奇蹟が必ず起きます。
それは話を聞いてもらうことを通して、ありのままに受け入れられることを体験し、そこに神の愛を感じるからにほかなりません。
ですから人を変えようとするなら、黙って心から相手の話に耳を傾けることです。
笑い話ですが、聖霊派のクリスチャンが「そんな時間が掛かる面倒くさいことするより、奇蹟が一発起きた方が手っとり早いのではないか」と言うので、「その通りです。あなたが黙って相手の話を聞けるようになることが最大の奇蹟です」(笑)

②相手の立場に立つことを学ぶ

自分の側からものを見ている限り、決して相手の気持ちが見えません。
相手の気持ちが分からなくてはカウンセリングは出来ません。
相手の立場に立つとは、相手の気持ちが分かるということです。
相手の気持ちが分かるとは、相手が泣いていれば「さぞかし辛かったんだろうな」と思うことです。
それが「何を泣いているのか。泣いていても問題は解決しない」と考えているようではいけません。

○相談に来られた方には「そうせざるを得ない気持ちがある」ということを肝に銘じましょう。

③自分も人に話を聞いてもらう

ご自分もどなたかに話を聞いてもらうことです。
そうすると「この人は、気のない聞き方をする」とか「この人はすぐ自分の話をする」とか色々感じることがあります。
その感じたことを自分が人様の話を聞かせていただくときに、同じ轍(てつ)を踏まないようにすれば良いのです。

3.聞き上手になったとき、どんなことが起きるか?

①傾聴(けいちょう)されることによって、人は受容体験を得る

生まれてこのかた、人に黙って話を聞いてもらったことがないという人は案外多いのではないでしょうか。
そのような人々にとって黙って話を聞いてもらうことは素晴らしい体験です。
これを受容体験と言います。
受容体験のない人に神の愛をいくら語っても決して理解されることはありません。
なぜなら人は体験したことのないものは想像することすら出来ないからです。
ですから神の愛を知ってほしいと願うなら、私たちが小さなキリストとなって人の話を黙って聞くということによって受容体験を味わってもらうことです。
受容体験を持った人には神の愛という概念は理解可能な概念となります。

②受容体験とはありのままを受け入れられたということ

このことによって神がありのままに「私」を受け入れてくださるということが、どういうことかを知るようになります。
これはまた、受容経験の乏しい者が牧師になると教会のメンバーに律法主義的な対応をどうして取るのかということの理由でもあります。

カルト教会は人々に偽りのラブシャワーを注ぎ、真の教会は人々に受容体験を提供します。
これが本当の教会と偽物の教会の明白な違いです。

③傷が癒され、無限の成長に向かって歩み始めるようになる

受容体験を持つことによって、人々は無限に人格的成長をするようになります。
これが成熟したクリスチャンへと成長していく道です。

◎今年そのようであったように、来年もますます聞き上手な人として用いられたいものです。
平安と祝福を祈っています。

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