赦しと裁き(その2)

12月3日の「赦しと裁き」について分からないところがあったので、もう少し詳しく書いてほしいというご要望がありました。

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回復の出発点にしっかりと立つ

「自分にも悪いところがあった」と自分のせいにしない、相手に傷つけられたという事実から決して逃げないと覚悟を決めることが、癒しへの出発点です。」

たとえば牧師にマインドコントロールされて、心に癒しがたい傷を負ったとき、その当人に問題があると言えるでしょうか?
決して言えないと思います。
このようなとき、周りの人々が「もう忘れなさい」とか「あの牧師にも悪気はなかったのだから」などと言うことは、当人の傷に塩を塗り込むようなものです。

傷つけられた人が取るべき正しい態度は「私に悪いところがあったから、こうなったのではない」「私が傷ついたのは、相手の明確で意識的な行動によるものである」という認識に、しっかりと立つことです。

よく「赦さない限り前に進めない」と言いますが、そんなことはありません。
かえって赦したふりをすると、生涯そのことで苦しまなければならなくなります。
ですから赦すふりをしない、忘れたふりをしない、ということはとても大切なことです。

「赦す」のと「許す」のはちがうこと

「許しとは相手が行った行為に対してなされるものであり、赦しとは相手の存在に対してなされるものです」

教会でカウンセリングを受けると、よく言われるのが「赦しなさい」ということです。
赦しとは定められた道のりをたどるとき、その道の終点に備えられてあるものです。
それをまだ終点まで行っていないのに、いきなり「赦しなさい」と言われては、赦すものも赦せなくなってしまいます。

またこのような指導に言外に含まれているのは「許しなさい」ということです。
マインドコントロールは明らかな犯罪であるのに、それを許せとは一体どういうことでしょうか。
これは明確な犯罪幇助(ほうじょ)です。
実際、牧師がセクハラや暴力などの人権侵害を行う傍から、長老的な立場にある副牧師・伝道師・信徒が、被害を受けた信者に「許しなさい」とか「牧師にも悪気はなかったのだから」と詭弁を弄して信徒の口を黙らせるということが多くあります。
裁判になったときには、そのようにした者たちも犯罪幇助の罪で告訴され、刑に服することになります。

赦しとは自分を傷つけた相手の存在を神に委ねることです。
それは自分の心の健康のためにすることであり、相手のためにするのではありません。

許しとは相手が行った犯罪行為そのものをなかったことにすることであり、相手が行った犯罪を許することは永久にあり得ないことです。

感情を抑圧してはならない

「赦しなさい。そうしたら、感情は後からついてきます」とは教会でよく言われることですが、みなさんはどう思われますか?

ありのパパは絵空事に過ぎないと思います。
無理やり赦しても感情は付いてこないばかりか、身体的な不調に襲われる危険があります。
なぜかと言いますと、無理やり赦すためには自分の感情を抑圧しなければなりません。
自分の感情を抑圧しているのに、感情が後から付いてくるはずがないではありませんか。
あまりにも馬鹿馬鹿しい、人の心を理解しない、目茶苦茶な指導であると思います。

◎相手を無理やり赦そうとしないで、丁寧に癒しの道筋をたどる必要があります。
被害者にとって十分な年月を経た後に赦することができるようになります。
どうぞ教会でカウンセリングを行われる方は、このことをよく理解しておいていただきたいと思います。

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コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    こんばんは。

    しばし、呆然としております…。

    まるっきり、私が通ってきた道と重なっているからです。

    「許さず」に「赦す」までに、残念ですが本当に十分な年月が掛かってしまいました。主の恵みが無かったら、危うく与えられた人生を棒に振ってしまうところでした。

    うんざりするほどいましたね、「許しましょう」「赦しましょう」「感情は後から付いてきます」、そう言えば最近も似たような話を聞きました

    マインド・コントロールの被害者が、このブログ記事にたどり着けたら、きっと回復に向けての糸口、突破口になると思います。用いられますように…。

    • ありのパパ より:

      こんばんは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      (冗談めかして申し上げますが)マッキーさんはふてぶてしいぐらいに回復されて、信仰の虐待経験をまさに人生の宝物とされておられます。

      他の信仰の虐待を受けた方々もまた同じように回復なされますようにと祈り願っています。

      またコメントしてください。お待ちしています。

  2. マッキー より:

    おはようございます、ありのパパさん。

    「ふてぶてしいくらいに回復」、ハハハ(笑)

    「神様に俺は呪われているんだ!!」と言いつつ、泣きながら一升瓶をラッパ呑みしていた一昔前とは、もうまるで別人格のようです。それだけ本音が抑圧され続けていたということでしょうか…。

    神の恵み、犠牲を払いながら私のことを励まし、祈りつつ見守ってくれた主にある兄弟達のお陰です。

    今では、マインド・コントロールっぽい説教をされた牧師を、
    コテンパンにやり込めるまで回復しました!!(そこで調子に乗るな、へりくだれ!!←自分ツッコミ)

  3. マッキー より:

    マインド・コントロールの後遺症に悩んでいる方へ

    主にあって、共に回復の道を歩ませて頂きたいと思います。

    そもそも、記事の冒頭にある「癒しへの出発点」に立つことが難しいですね。マインド・コントロールが解除されていないと、間違った方向に認知バイアスが掛かってしまい、思考が歪んだままなので、「自分にも悪いところがあった」あるいは「自分だけが一方的に悪かった」という思いから、なかなか抜け出せません。(普通の人には、理解してもらうのは難しいところ)

    でも、安心してください。何故なら、神様はあなたを愛しておられるので、黙っていることが出来ません。

    きっと、「癒しへの出発点」に立てる時が来ます。神様が備えられている時です。このブログ記事を読んだ「今」がその時かもしれません。

    ありのパパさん、勝手にいろいろ書いてしまってすみません。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      「そもそも出発地点に立つことが困難」との言葉に教えられました。
      そうですね。そこに立つことさえ出来れば、半分回復したと言えるかもしれません。

      またコメントしてください。お待ちしています。