この地上に生きている間に救いの素晴らしさを体験しよう!

熱心すぎるほど熱心な人々は、周りの人々に煙たがられがちです。
その煙たがられる原因が周りの人々にある場合は問題ないのですが、熱心そのものの人に原因がある場合は考えものです。

信仰に熱心だった方が老齢になり、老人ホームに入居したときなど、他の入居者との間に気安い人間関係をつくることが難しいケースもあるようです。
また信仰に熱心であった方が亡くなられて葬式に参列した方々が「あの人は信仰には熱心であったが、付き合いづらい人だった」と言われるようなこともあるようです。

そのような話を聞くと、聖書の教え通りの信仰であるなら、熱心になればなるほど人格的に成熟し、人々との間に壁がなくなり、忌憚(きたん)のない付き合いができるのが本当ではないかと、ありのパパは思うのです。

もし信仰の熱心と人格的な成熟がイコールで結ばれないとするなら、これは問題です。
今日は皆さんとご一緒に、どうしてこんなことになってしまうのかの原因と、そうならないためにはどうしたら良いかを考えます。

スポンサーリンク

1.現実から逃避することが最大の原因

新興宗教の勧誘で「入信したら登校拒否の自分の子供がこんなに良くなった」とか「アルコール依存症やギャンブル依存症の家族が良くなった」という体験談があげられることがあります。
しかしよく聞いてみると、本当に良くなったのではなく一時的なものであったり、却って症状が悪化している場合も多いのです。

なぜこんなことになってしまうのでしょうか?
それは真の原因を探ろうとせず、とにかく良くなってくれれば良いと考えてしまうからです。
しかし肉体の病気を考えてもそうですが、同じ咳が出るのでも、風邪を引いているのか、インフルエンザなのか、それとも肺ガンなのか、調べてみないと分からないわけです。
それをとにかく咳が止まればいいからというので、どんな場合でも咳止めシロップを飲ませていたら、その人はどうなるでしょう。
そうです。確実に病気は悪化します。
手遅れにならないうちに病気の真の原因を知ることが絶対に必要です。

クリスチャンも同じです。
自分のもっている性格上の欠点は何なのかを正確に知る必要があります。
そしてその短所に信仰によって恵みを適用するのです。
これをしない限り、信仰は絵空事に過ぎません。
現実に生きている「私」に力を及ぼすことはありません。

2.環境や人間関係から逃げない

お話を聞いていて、いつまで経っても自分の性格上の欠点に関する話が出てこない方がおられます。
よく言えば哲学的・神秘的・道徳的・敬虔主義的であると言えますが、本当のところを言うと、時間の無駄であり、人生の無駄遣いです。
ただ思念の中だけで「ああでもない、こうでもない」と言い続けて、それで満足しているのです。
このような人々は周りの人々に「熱心だ」とか「敬虔だ」とか言われますが、実は煙たがられているに過ぎません。

このような人々に限って、「十字架=自我の磔殺(たくさつ)」の教理を振り回します。
そして思念の中だけで自分自身を十字架につけるのです。
そんなことをしなくても、目をよく見開いて自分が置かれている現実を見るなら、いくらでも自分を十字架につけなければ解決できない難題があることに気づきます。

例えば子供が不登校になったとき、自分は何もせず神様にお任せという親御さんがおられます。

しかし私たちは聖書の『平凡に見える家庭生活に身を入れるなら、人間として成長することができる。そしてこのようにして救いは完成する』という御言葉を自分自身と家庭生活に適用する必要があります。
例えば
a.自分のせいにしたり、他の家族のせいにしたり、果ては悪霊のせいにしたりするのを止める。
b.子供がそうなった心理的原因を祈りつつ、探っていく。
c.原因を特定できたら、その問題への対応策を実行する。

このようにして現実の生活に神の恵みを呼び込むのです。

3.神秘主義と分離主義を避ける

目の前に問題があるのに祈ってばかりいるとするなら、それは逃避です。
神秘主義によってだませるのは自分だけです。
それ以外の誰にも良い影響を及ぼすことが出来ません。

また問題があるとき、その問題の原因を相手にのみ押しつけ、その人々から分離しようとするのも間違った態度です。
この誘惑は大変強い誘惑です。
しかしこの誘惑に足をすくわれないようにクリスチャンは注意しなければなりません。

◎救われた目的は、クリスチャンが地の塩・世の光となるためです。
それはとりもなおさず、良き隣人となることを意味しているのです。
平安と祝福を祈っています。

スポンサーリンク

コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    今日の記事からなんの気なしに関連記事を検索したら、わたし的に秀逸なブログ記事が!

    地の塩・世の光…。この世と調子を合わせまくりで、悔い改めしきりです。

    御言葉を自分自身と家庭生活に適用する必要がある→うー…、み、耳が痛いです。

    オーバーワーク気味だと、つい義母に当たり、妻に愚痴り、娘に泣きを入れてしまう今日この頃です。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      この記事は5年半前に書いたものです。
      コンピュータが自動で今日の記事にもっとも近い記事を探しだしてきて掲載してくれます。
      私も再び読みました。
      書いた本人が心に刺さりまくりでした(笑)。
      まぁ、御言葉って、そういうものですね。

      暑すぎる日が続きますが、ご自愛ください。
      またコメントしてください。お待ちしています。