政治指導者のために祈る

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1.共感性の欠如が真の問題

ある分離主義キリスト者のブログに先頃、政権の座についた鳩山首相についての記事か書かれていました。
それは日本社会への分析にもとづいて、政治家一般の代表としての鳩山首相を批評しているようでした。

しかしそれを読んでありのパパは、憤(いきどお)りを感じました。
それはどんなに不景気であろうと、福祉予算がカットされようと、痛くも痒(かゆ)くもないないところに自分を置いて、高みの見物を決め込んでいるように思われたからです。
この方には、母子家庭への支給をカットして、アニメの殿堂を建設することも、福祉予算をカットされて自殺するしかないと思い詰めている何万人もの人々の苦しみや悲しみも他人事に過ぎないのでないかと思われました。

ありのパパは民主党を100%支持しているのかというと、そうではありません。
年収二百万円以下の一千万人の人たちのことを思うと、民主党政府にこの難局を何とか解決してほしいと願っているに過ぎません。

2.政府指導者に対して取るべき態度とは?

『私たちの上に神から権威を与えられて立てられている人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。』[Ⅰテサロニケ2:1](現代訳聖書)

①政治指導者のために祈る

端的に言うと政治指導者のために神様に願いと祈りととりなしと感謝をささげなさいということです。
今の時代は民主主義の時代ですから、政治指導者とは王様ではなく政治家を指します。
この教えは現代に生きるクリスチャンには守られていない教えではないでしょうか?

②権力に対して距離を保つ

これは政府ベッタリであれということではありません。
それでは戦前の我が国の教会と同じ間違いを犯すことになります。

ではアメリカ福音派教会のような立場をとることでしょうか。
アメリカ福音派の教会活動家が、口をきわめてオバマ大統領(その当時は大統領候補でした)を罵っているのをニュースで見て、非常な違和感を覚えました。
彼らがやっていることは教会としての活動ではなく、一つの政治的党派としての活動になっています。
政治的党派としての活動をキリスト教の看板を掲げて行ってはなりません。
教会の看板は下ろして、政治的党派の看板に掛け替えるべきでしょう。

③教会は政治的党派として活動してはならない

アメリカや日本のリベラル派教会が、戦後からベトナム反戦運動の頃まで行ったような反政府活動はどうでしょうか。
これも教会としての活動ということは出来ず、一つの政治的党派としての活動でした。

初め政治に関心のなかったアメリカ福音派教会は、リベラル派教会の政治活動を横目で眺めながら、どうしたら政治的影響力を発揮できるかを学んだようです。
リベラル派教会が政治の舞台から退くと、それに代わって福音派教会が政治の表舞台に登場しました。
こう見てくると、リベラル派教会は悪いお手本を福音派教会に残したようです。

3.政治指導者に対して取るべき態度についての聖書の教えは?

①預言者の使命をはたす

教会の政治的活動は預言者の使命を果たすという一点に絞られるべきでしょう。
教会は神によって現代という時代に置かれた預言者です。
預言者の使命とは国家が神の御心に反しないように監視することです。

②とりなしの祈りをささげる

その使命を果たすために普段から政治指導者のために、神に願い・祈り・とりなし・感謝をささげなければなりません。
現代人はクリスチャンを含めて市民的自由とか、市民的権利というものをないがしろにする傾向があります。
そのような七面倒臭(しちめんどうくさ)いものは脇に置いて、テレビのワイドショーよろしく無責任なコメンテーターの役をやりたがるのです。
しかし聖書は、そうではなく現実の政治に責任を持ち、政治家のためにとりなしの祈りをしなさいと命じています。

ここにはクリスチャンとしての個人的な政治的立場のことは何も書かれていません。
アメリカ福音派教会の人々がクリスチャンとしての立場を表明するのに「共和党なら支持するが民主党なら支持しない」などというのは聖書から見るならば全く受け入れることの出来ない発言です。
同様に日本のクリスチャンが政治家に対して無責任でお気楽な傍観者を気取ることも神の御心に背(そむ)くことです。

③祈るには理由がある

政治家のために祈れと命じた後に、祈らなければならない理由が書かれています。
それは私たちが神を畏れ、落ち着いた生活をするためであると言っています。
このような生活を送るなら、どのようなことが起きるかということをパウロは述べています。
それは私たちクリスチャンが神を畏れ、落ち着いた生活をするなら、宣教の業が進むというのです。

◎伝道が進展するために私たちクリスチャンが神を畏れて落ち着いた生活をするために、政治指導者のために祈ることが必要です。
平安と祝福を祈っています。

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