赦しと裁き

聖書を読んでいて、どのように受け止めれば良いのか迷うことが皆さんにはないでしょうか?
ありのパパにはしょっちゅうあります(笑)。
その度毎に、聖書全体と調和するか、論理的に矛盾していないか、神学的にどうかを検討します。

たとえば「赦しなさい」という教えです。
この教えぐらい乱用されている教えはありません。
カウンセリング的にも、教会戒規の面からも、法律的にも、脱線・逸脱しています。
例えば牧師によってマインド・コントロールを受けた信徒が被害を訴えると「ゆるしなさい」と指導されるときがあるようです。
これは全く誤った指導です。

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①カウンセリングの面から

「自分にも悪いところがあった」と原因を自分に求めない、原因は相手にあるという事実から決して逃げないと覚悟を決めることが癒しの出発点になります。
それを「相手がしたことを許しなさい」と指導されてしまえば、言われた方は心にある傷をずっとそのままにしていなければならないことになります。
その傷はやがては化膿し、心理的・肉体的な悪影響をその人に与えます。

許しとは相手が行ったことに対してなされるものであり、赦しとは相手の存在に対してなされるものです。
この二つのことは分けて考える必要がありますが、つながっている部分もあります。
それは自分の意志に反して相手を許してしまうと、本当の意味で相手を赦すことが出来なくなってしまうのです。
ですから「赦し」にいつか到達したいと願うのならば、決して安易に「許し」てはなりません。

②教会戒規の面から

よく言われるのは「神様が裁いてくださるから、裁きは神に委ねなさい」という指導です。
しかしその指導は聖書から出ているものでしょうか?
聖書は何と言っているか見てみましょう。

「教会外の人たちは神が裁かれる。あなたがたが裁かなければならないのは教会内のことである」[Ⅰコリント05:12,13]

この聖句のどこに、裁きを神に委ねよと書いてあるでしょう。
どこにも書いていないばかりか、反対に「あなたがたが裁きなさい」と書いてあるのです。
クリスチャンは雰囲気や形だけキリスト教的であれば良いのではありません。
聖書に具体的に書かれてある命令に忠実でなければなりません。
それでもなお世迷い言(よまいごと)を言うなら、次の質問をしなければなりません。
「私はキリストを信じる者ですが、あなたは何を、誰を信じておられますか?」

③法律の視点から

マインド・コントロールすることも、教会員の財産を奪い取ることも、みな法律的に見て問題のある行為です。
この点で福音派教会は反省しなければならない点が多くあると自覚しています。
なぜならどのような背景があって献金がなされているかを問うことがなかったからです。
両親が亡くなったばかりの若い女性が遺産の土地を捧げると申し出たとき、まともなクリスチャンであれば、すぐに受け取るということは決してしません。
賃貸借契約を結ぶか、時限付きの土地使用契約を結び、その方がショックから立ち直り正常な判断が出来るまで待ちます。

聞くところによると、民事訴訟において勝訴したと思ったのも束の間、莫大な贈与税の支払いを行わなければならなくなるかもしれない状況になりつつあるようです。

『不正を行う者は、自分の行った不正に対する報いを受ける。それには不公平は全くない』[コロサイ3:25](現代訳聖書)

◎被害を受けた方々や、それを支援する人々に後ろから石を投げるようなまねをしてはなりません。
あまりにも良心が弱すぎます。
神によって強くしていただかなければなりません。
平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. 岡田 より:

    ありのパパさまこんばんわ、この新ブログのほうはモバイルからでも文字構成が読みやすく感謝です パソコン事務所に 置きっぱなしなので。

    ところで、これらのカルト牧師たちは ほんとにクリスチャンなんですかねえ?
    この人たちに誠、神を敬う心は あるのでしょうか。
    私には良心を失った未信者であるとしか考えられないのですが。
    クリスチャンでなくとも牧師はできます、クリスチャンでなくともクリスチャンできます、これはパウロのときから あったはなしです。

    子どもやご婦人に常習的猥褻行為を働く、教育と称し殴る蹴るの暴行を加える 信者の土地を収奪する、 過重奉仕により国保の未払いが発生する。
    これらは刑事、民事、労基法に明らかに違反しており 、もしぼくが事務所のパートタイマーさんに同じことをすれば、確実に府警が逮捕に来ます。
    このような社会的犯罪を教界防衛のため、 あるいは伝道の阻害要因になるとの理由で 隠蔽したり 弁護したりすることは聖書的ではありませんし、パウロも罪は罪とはっきり指摘されておられます。
    そして、悪意の未信者からの詐欺行為や犯罪に遭遇し示談が成立しない場合は警察に通報しますし裁判も起こします。
    ぼくでもそういたします。
    これが市井にある、いち低級信徒の素直な感想です。
    ただご指摘のように長期の対決は心身に多大な負担が生じます。
    ぼくも20坪の土地のため民事裁判を経験しましたが 、良心を持たない人は平気でウソをつく、ありもしない事実を捏造する、脅迫電話かけてくる、もお病気になりそうでした 。
    このご婦人たちも、似たような体験をされておられるのではないかと、お察しいたします。
    もちろん私の場合は質と規模が違うので比べものになりませんが。
    このご婦人がたに主の平和と みちびきがありますように。
    また主の みこころと公正が速やかに行われますようにと祈ります。

  2. arinopapa より:

    岡田さん、こんばんは。
    コメントをありがとうございます。

    ご指摘の通り、これらの牧師たちは信仰の破船をした人たちであると思います。
    はじめは良い出発をしたのですが、自分の教会を大きくするという野心のために、信仰と良心に反すると知りながら歩み続けた結果、信仰が破船したのではないかと思います。

    また教界が罪の隠蔽に動いたことも主の御前で言い訳の出来ない罪であると思います。
    聖書こそ、民主主義の産みの母なのですが、教会は市民社会からだいぶ遠いところにいたように思います。

    その一方で香川県ではプロテスタント教会が一致して信徒が被害を受けた場合の相談窓口を、全国で初めて設置しました。
    良い兆(きざ)しであると思います。

    またコメントしてください。お待ちしています。