信じて救われて生活が変わると、確かに「選ばれている」ことが分かる

神の救いに選ばれていたから救われたのではありません。
すべての人は救いに備えられており、その救いを選び取った人が心が変わるだけでなく生き方まで変わってしまったのを見て、パウロは「あなたがたは確かに神に選ばれている」と言ったのです。

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1.神に選ばれているとはどういうことか?

新約聖書のテサロニケ教会への手紙第一1章4節には『あなたがたが神に選ばれていることを知っている』と書かれてあります。
この箇所だけを根拠にして「やっぱり神はある特定の人々を救いに選んでおられるのだ」と一人勝手な結論に結びつけるという誤りがあります。
後に続く部分を丹念に読んでいけば、このような結論が全く根拠のないものであることが分かります。
このような間違いに陥らないためには、テサロニケ教会への手紙などの比較的短いものは一度に通して読むことです。
また「原語」に忠実に訳すという翻訳理論に基づいた聖書ではなく、「原意」に忠実に訳すという翻訳理論に基づいた聖書を読むことです。
(日本で手に入る原意に忠実に訳された聖書には、現代訳聖書とリビングバイブルがあります)

2.パウロが神に選ばれていると言った第一の理由

それはパウロが福音を宣べ伝えたとき、ただ単に説得力のある言葉を語ったからではなく、聖霊なる神が確信をもって福音を語らせてくださったからです。
では「聖霊なる神が確信をもって福音を語らせてくださった」とは、何を意味しているのでしょうか?
機械的に文字通り理解するなら、奇蹟と癒しと印を伴わせて福音を語ったと考えることは可能です。

しかし、この聖句に続けて「私たちがあなた方の所でどのような生活態度を取ったかということは、あなた方がよく知っている通りである」と書かれてあります。
ということはここで言われている力強さには、奇蹟や印以上のものが含まれていたことが明白です。
それは罪から救われた喜び・感謝・神への信頼がにじみ出た生活ではなかったでしょうか。
確かに私たちも言葉を聞いただけでは信用できないが、その人の生活を見ればその人が本物か偽物か分かるということがあります。

○要するに、「理屈で信じたのではなく、生活態度が全く変わってしまった人が語る福音を聞いて信じたから、あなた方は神に選ばれていると言うことができる」と言っているのです。

3.第二の理由

信じた人々が福音を信じただけに終わらないで、福音を語った人の生活態度にならい、さらに主の足跡を踏み行く者になったことです。
では、その生活態度とはどんなことを指しているのでしょうか。

①パウロの生活態度にならったとありますから、罪から救われた者にふさわしく、喜び・平安・感謝の溢れる生活を送っていたようです。

②キリストの救いを熱心に人々に伝えるということです。

テサロニケ教会のクリスチャン達は大変に伝道熱心であったようです。
「至る所で神を信じる人々が増えていった。」[Ⅰテサロニケ1:8]

○生活が変わり、熱心に人々に主の救いを伝えているとき、「あなたがたが神に選ばれていることを知っている」とパウロは言いました。

4.第三の理由

偶像の神々を信じる信仰から、生きておられる真の神に立ち返って、主イエスに従うようになり、また主イエスの再臨を待ち望むようになったことを、他宗教の人々が言いふらすほどにテサロニケ教会のクリスチャン達が変わったということです。
このようなとき「確かにあなたがたは神に選ばれていることを私は知っている」とパウロは言いました。

5.カルヴィニズムの誤り

カルビニズムは「選び」を自分に都合の良いように曲解しました。
罪を犯しても、どれだけ俗っぽくても「選ばれているから大丈夫」と根拠のない主張を振り回しました。
聖書はそうではなく「あなたがたは選ばれていると言って良いほどに、あなたがたの人生は変わった」と言っているのです。
全く逆のことを言っているのです。
[選び⇒救い]ではなく、[救い⇒生活の変化⇒選ばれていることを確信する]の順序なのです。

私たちはどうでしょうか。パウロさんに「あなたがたが神に選ばれていることを私は知っている」と言ってもらえるでしょうか。
それとも………。

◎平安と祝福を祈っています。