神秘主義と分離主義

18世紀英国を流血の革命から救ったと言われるメソジスト教会の創設者ジョン・ウェスレーは、次のように言いました。
「熱狂は傲慢の姉妹である」何のこっちゃ! こういうこっちゃ(笑)。
ありのパパも初めてこの言葉を聞いたとき、何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
ウェスレーはキリスト者経験における第二の転機としての「キリスト者の完全」という教理を主張しました。
これが基礎となって、後にペンテコステ運動が生まれることになる重要な教理でした。
しかし当時の人々にとっては耳新しい教えでしたので、そこには誤解や脱線がありました。

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1.罪を犯さなくなる完全

典型的な誤解は「キリスト者の完全」の域に達すると、決して再び罪を犯すことはないという理解でした。
ウェスレー自身は罪の性質は根絶されるという理解に立っていましたが、それには理由があります。
それは同労者たちが、あまりにしつこく「神の愛に全く満たされた状態で罪を犯すことはあり得るか」と質問するので、それに対してウェスレーは「罪の根が残っていようがいまいが、神の愛に全く満たされた状態では、罪を全然感じないのであり、そのような状態では罪の根は全く除去されたといっても差し支えないと考える」と言ったのに過ぎません。
(しかしこの罪の性質が全く潔められると教える「根絶説」は一人歩きしてしまい、ホーリネス運動の最も重要な強調点の一つとなりました。)

2.キリスト者としての完全と人間としての完全のちがい

当時に起きた脱線には次のようなものがありました。
ウェスレーが言うような「キリスと者としての」完全ではなく、天使的完全、人間的完全を主張するものです。
「私は完全になった!」とする主張は、ただちに自分を神格化する方向へと、その人を導きます。
結果、再臨の日時を特定して「もう働く必要はない」と言い出したりしました。
そして約束の日時には、もちろん再臨が起きないわけですから、そのグループはちりじりバラバラになります。
しかし世の中の人は「あれはウェスレーのグループの人たちだ」と言い、メソジスト運動を批判しました。
それでウェスレーはこのような人々を熱狂主義と呼んで、警戒するように注意を喚起しました。
その時に言ったのが「熱狂は傲慢の姉妹である」という言葉です。

3.熱狂主義の特徴

①聖書からの逸脱

熱狂に陥った人々の主張を聞くと、ほとんど聖書が出てきません。
キリスト教的な雰囲気はあるかもしれませんが、具体的に聖書の御言葉が出てきません。
話の中心は自分が体験した宗教経験です。
聖書はこのような人を『彼らは幻を見たというような特別な体験を重んじ、生まれながらの思いによって、いたずらに誇り、キリストに結びつこうとしない』[コロサイ2:18](現代訳聖書)と言って、非難しています。
特別な霊的経験を聖書より重視することを神秘主義といいます。

②霊的なエリート主義

もう一つの特徴は自分は他の人と違うという認識です。
その認識が発達して、自分たちの教会は他の教会と違うという認識に至ります。
この「自分は他の人と違う」と考えるのは、その人が傲慢だからです。
これが「熱狂は傲慢の姉妹である」ということです。
これは大体において分離主義へと流れていきます。
自分たちは他の人と違うし、自分たちの教会は他の教会とは違うという主張が、聖書的な教会から受け入れられるはずはありませんから、ちやほやしてくれている間はまだ良いのですが、批判されるようになると、すぐに分離主義へと落ちていきます。

③独りよがりな聖書解釈

聖書は聖書によって解釈しなければならないという原則を投げ捨てて、自分勝手な解釈を施します。
これを主観主義といいます。
この主観主義という名前の熱狂主義はキリスト教の歴史に繰り返し現れて、主の御体である教会を苦しめ傷つけました。
現代にも、この主観主義・熱狂主義の人たちが存在します。
熱狂主義というと、何か大騒ぎしているような印象を与えますが、そればかりが熱狂主義なのではありません。
熱狂主義の本質は聖書の教えから離れて、自分が体験した霊的経験を優先することですから、一見静かで建徳的に見えるものにも、その危険があります。

主観主義・熱狂主義について、聖書は『そういったものは、独りよがりの礼拝(形式)と、自己卑下という点では一見賢いもののように見えるが、生まれながらの肉欲に対しては、何の役にも立ちはしない』[コロサイ2:23]と言っています。
聖書が言う救いとは罪からの救いです。
罪からの救いとは、生まれながらの肉欲の問題に対する解決を指しています。
そうすると熱狂主義・主観主義はキリストの救いとは関係がないということになります。

◎救いの経験より優れた霊的経験はなく、主の教会より優れた教会はどこにも存在しません。
これがあると思うのは、傲慢だからであり、悪魔の策略にやられているのです。
私たちクリスチャンは今こそ、聖書の教えに帰る必要があります。

コメント

  1. 岡田 より:

    ありのパパさま、こんばんわ。
    熱狂は傲慢の姉妹である言い得て妙ですよね。
    わたくしも ウェスレーの格言を 考えました。
    「偉大な説教者は 暴力妻 によって 作られる。」
    日夜 不倫を疑うヒステリー妻の蹴りやパンチを浴びるごとに 最早われ生きくるにあらずキリスト我が内に在りて生くるなり との確信に至ったのでは ないでしょうか。
    片袖の千切れたカッターシャツ そして鼻血をポタポタと垂らしながら 「講壇に立ち 迫害するものの ために祈りましょう 。そして妻を愛しましょう。」と 語るウェスレー鬼気迫る説得力がありますよね…

    昨日の礼拝説教は異様なほどに短く10分くらいでした。
    兄弟姉妹、私たちは完全なものです しかしまだ完成されてはおりません祈りましょう 聖霊さま私たちのうちにキリストを かたち作って下さいと 私たちは まだ道半ばなのです オンザ ウェイ チャーチなのだア
    (それ ジャック・ヘイホード師の もろパクってるやんと いう感じでした…)
    しかし父 御子 御霊の〜賛美しているとき 確信しましたね私の教会は 世界一だなあ〜 SPA!らしいなあ〜 と。
    その根拠は イエスさまが わたしを置かれた場所 そこが私にとって世界一なのです。
    これって超主観主義、神秘主義と思われるでしょうねえ わかってますヨ(笑)

    ありパパさまのお働きのうえにも 主の みたすけが 絶えず注がれますようにと祈ります。

  2. arinopapa より:

    岡田さん、こんばんは。
    コメントをありがとうございます。

    ウェスレーが恐妻家であったこと、よくご存じでしたね。

    キリスト者の完全の先導者であったウェスレーが、夫婦仲がうまく行かなかったというのが、面白くてたまりません。

    少なくともウェスレーは人を見る目がなかった(妄想性ヒステリー障害)と言えるかもしれません。

    彼は今で言うところのマザコンでなかったかという人もおります。

    ○決して神秘主義などとは思いませんから、ご安心ください(笑)。

    岡田さんのお仕事と、投資の上にも神様の祝福がありますように。