村社会意識に打ち勝つための三つの方法

私たち日本人は人の目を恐れます。
キリスト者になったあとでさえも人の目を恐れることは続きます。
どうしたら人の目を恐れるという村社会意識に打ち勝つことが出来るのでしょうか?

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1.人の目を恐れる民族

世界中で、どの民族が人の目を一番恐れるでしょうか?
アメリカ人ならば「人は人。自分は自分」と言うでしょう。

聖書はユダヤ人がそうだと言っています。『彼ら(ユダヤ人)は神よりも人の目を恐れた』(聖書)
これは聖書が言うのですから間違いないでしょう(笑)。

現在の世界で最も人の目を恐れるのは私たち日本人ではないでしょうか?
私たちは普段から「人の目が気になる」とよく口にします。
これはもって回った言い方であり、本当のところを反映していません。
なぜなら「気になる」程度なら、何の問題もないからです。

しかし人の目に支配されているなら、信仰にとっては死活問題です。
なぜなら聖書は「神への畏れよりも、人の目を恐れる者は、神の心に適わない」と言っているからです。

2.人の目を恐れる民族が神を受け入れるために

それでは日本人への宣教は絶望的なほどに困難なのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
なぜなら日本人と同じように人の目を恐れるユダヤ人への宣教が成功し(初代教会時代)、何万人ものユダヤ人が信仰に入ったのですから日本人への宣教も可能であるということが出来ます。

問題は二つあります。
一つ目は、どうすれば人の目を恐れる日本人が福音を受け入れることが出来るかということです。
二つ目は、入信後もなお人の目を恐れる私たち日本人クリスチャンがどうすれば、それに打ち勝って神を畏れて生きていくことが出来るかという問題です。

3.力の伝道

一つ目の問題への対応は比較的容易であるように思います。
それは力の伝道が有効であるからです。

力の伝道は、神なき価値観の壁を打ち壊すばかりでなく、人の目への恐れからも解放します。

福音書の盲人の目が癒された記事によれれば、元盲人はこのように言いました。
『私は、あなたがた(律法学者・パリサイ人)のようには学問も理解力もない。ただ私は以前は目が見えなかったのに、今は目が見えるという、この事実を知っている』

この告白に対抗できるものは何もありません。

4.村社会意識に打ち勝つために

二番目の問題は、相当深刻です。
ありのパパも、これが回答であるというものを持っていません。
それを前提にあえて提言いたします。

①帰属意識を高める

日本人は自分が属する集団に忠誠を尽くす傾向が極めて強いです。
しかし、礼拝に出席して牧師の説教を聞いて、讃美歌を歌って、挨拶を交わして、家に帰るというような表面的な交わりにとどまっていては帰属意識を持つようにはなりません。
教会堂中心の信仰生活を送っていては、迫害がはじまれば総崩れになってしまうでしょう。

そうならないためには、どうしても(礼拝以外の)交わりが主体の会合が必要です。
聖書の学びだけではない、本音の意見を互いに話す場所です。

このような言いっぱなし・聞きっぱなし・他言無用の集まりを根気づよく続けていくとき、教会に対して強い愛着・帰属意識を持つようになります。
教会に対して強い帰属意識を持たない限り、この世において属している組織の意向に従ってしまうのが、私たち日本人クリスチャンの実体ではないでしょうか。

②神との人格的交わり

文化を支配しているのは聖書によれば霊的存在です。
文化的支配命令に屈することがないように、祈りによって霊的戦いをすることが有効です。
異言で祈る賜物を用いた神との親しい交わりもそのひとつです。
何年間にも渡る、神との人格的交わりの蓄積こそが、人の目を恐れるのではなく神を畏れて生きることを可能とするための資源になります。

祈り:
私たち日本人クリスチャンが、人の目を恐れるのではなく、神を畏れて生きることができますように。

◎平安と祝福を祈っています。