どうやって罪なしで生きていくか?

アルコール依存症の方々は、どうやって酒を飲まないで生きていくかということを最重要な課題としておられます。
それはそうです。再飲酒してしまえば、良くて精神病院の鍵付き病棟、悪くするとあの世行きです。
そして実際にアルコール依存症で亡くなる方の比率はとても高いのです。
この方々の自助グループであるAAから出版された書籍の中に「どうやって飲まないでいるか」という本があります。
今日は皆さんに、この本から教えられたことをご紹介します。

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1.信仰の本意は初心に戻ること

入信のとき私たちは、
自らは
a.罪に対して無力であることを認め、
b.神様なら自分を救うことが出来ると信じ、
c.自分の意志と生き方を神の御心に委ねることを決心しました。

信仰生活とは、入信のとき行ったことを忘れず、生涯に渡って原点に戻り続けることです。
多くのクリスチャンを見ていると、ある人はご立派になり、ある人は何様?という存在になり、ある人は信仰が重荷になっていたりします。

2.本当に無力が分かったら、自分で何とかしようとするのは止まる

毎朝、元アル中の方々は自分が「酒に対して無力であること」を認めます。
私たちクリスチャンも毎朝「罪に対して無力であることを認め」ます。

ありのパパは自分が罪に対して無力であり、神様だけが私を変えることが出来るということを具体的にイメージするために、大海にぷかりぷかりと浮かんでいる自分を想像します。
これは自分で自分自身を何とかしようとすることの愚かさを確認することであり、大海は神の恵みを象徴しています。
この神の恵みという大海の中で、ぷかぷかと浮いている無力な自分をイメージします。
そして今日も大丈夫という確信と励ましを頂戴します。

3.今日一日だけ

次に元アル中の方々は「今日一日を生きる」ことを再確認します。
これはどういうことかというと、罪の誘惑が激しく襲ってくるとき、その誘惑に自分は負けてしまうかもしれない。
しかし今日一日は罪を犯さないでいようと決心することです。
そうして今日一日を更新していくのです。

旧約聖書のマナもそのようでした。
今日一日の分だけ神からいただくことが出来ました。
明日の分まではいただくことが出来なかったのです。

ありのパパが「今日一日を生きる」を実践してみて気づいたことは「立派な聖い人になろうとして死ぬまで罪を犯さない」と力むことが、罪を犯す原因の一つになっていたということです。
神が私たちに与えてくださる恵みや力は、今日一日分の効力しかありません。
これが何を教えているかというと、焦点を今日一日に合わすということです。
焦点とは意識するということです。
今日一日だけ罪を犯さないで生きていこうと決心することです。

4.あるアルコール依存症者の体験

最後は「初めの誘惑を退ける」ということです。
ありのパパが尊敬する元アル中の方の体験談ですが、毎日仕事帰りに通うコンビニに酒が置いてあったそうです。
内心ではいつかあの酒に手を出すのではないかという恐れがあったのですが、そんな神経質になっても仕方ないと思い、深刻に受け止めなかったそうです。
そうしたところ、ついにコンビニの酒に手を出してしまい、気が付くと鍵付きの精神病棟にいたそうです。
朦朧(もうろう)とする頭の中で「もし今度ここから出ることが出来たとしたら、あのコンビニには決して寄るまい」と決心したとのことです。
それから彼は何年もの間、酒なしで生きる人生を更新しつつあり、今もそのような人生を生きておられるのです。

どんな小さなことであっても、それが「初めの誘惑」かどうかは本人が一番よく分かっているのです。
それは聖霊なる神が教えてくださるからです。
それを人の声や、この世の常識や、自分の欲求のゆえに、耳をふさいでしまってはなりません。
初めの誘惑を退けている限り、罪を犯す機会は私たちに訪れることは決してありません。

あともう一つ知っておかなければならないことは、神が私たちに与えていてくださる恵みと力には、初めの誘惑を退ける力はあっても、二番目・三番目の誘惑を退ける力はないということです。

5.救いとは何からの救いか?

それは罪からの救いです。
罪からの救いとは、一体何を意味しているのでしょうか?
それは罪を犯さないで生きることを指しているのです。
罪を犯さないで生きる力を私たちは持っていません。
ただ入信のときの悔い改めが意味する「罪に対して無力であることを認める」「神になら私を救うことが出来ると信じる」「この神に自分の意志と生き方を委ねる」この三つのことを通してのみ、神の恵みと力が私たちの人生を覆うようになります。

◎ご一緒に神と共に歩む人生を生きてまいりましょう。
平安と祝福を祈っています。

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