逆尊属殺人とアダルトチルドレンと子供の人権を守る働き

本来の尊属殺人は子供が親を殺すことです。
なぜ親が子供を殺すことは問題にされないのでしょうか?
それは子供が尊重されない存在だからです。
しかし神を信じる人々を通して子供に対する人権侵害を止めさせる働きが開始されました。

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1.アダルトチルドレンには親を殺す気持ちが分かる

ありのパパが勘違いしていた中で最大のものは、尊属殺人に関するものです。
ありのパパはてっきり、親が子供を殺したら極刑というのが尊属殺人だと思っていたのです!
それが正しくは、子供が親を殺したら極刑というのが尊属殺人だったのです。
みなさんは、知ってましたか?(知らないのはお前だけだって?)

これを知ったときのありのパパの感想は「子供が親を殺すのだから、きっと何かやむにやまれぬ事情があったのだろう。そうであるのに、それを極刑とは子供はたまったものではないな」というものでした。

なぜそのように感じたのかの理由が最近まで分かりませんでした。
それが「カラマーゾフの兄弟」についての解説を伺ったことで、心に光が差し、何十年かぶりにそのことについて気づきが与えられました。

解説してくださった方はご両親に愛されて育った方のようでした。
そして親に愛されて育った子供として、「カラマーゾフの兄弟」の解説をされるのです。
しかしなぜ子供が親を殺さなければならなかったのかについては、それでは分からぬのです。
分からないから農奴制に原因を求めてみたり、ロシアの文化的精神性に原因を求めます。
その解説を聞いていると忘れていた大昔の記憶が思いだされ、ありのパパの心の深いところから「そうじゃない。そうじゃないんだ」という叫び声が聞こえてきました。

明らかに分かったことは、養育者から圧迫を受けている存在として自分自身を捉えていたのですが、それを自覚することはあまりにも辛すぎるので、その自覚を抑圧していたのです。
それが大人になり、その自覚を受け止めることが出来るようになっていたので、カラマーゾフの兄弟についての解説を聞いたことがきっかけとなり、無意識下にあった記憶が呼び覚まされたというわけです。

2.キリスト教と子供の人権

十戒を見ても「父と母を敬え」はあっても、「子供を大切にせよ」というのはありません。
当時のイスラエルばかりでなく、どの社会であっても子供は価値ある存在という考えはなかったようです。

わが国においても、1549年にカトリックの宣教師がやってくるまでは「赤子(あかご)殺し」が一般的に行われていたようです。
(生まれたばかりの赤ん坊の息が出来ないようにして絶命させる方法です。)
それが宣教師がやってくると、キリシタンがそんなに増えていない段階で、この赤子殺しの風習は速やかになくなっていきます。
たぶんキリスト教の教えに触れたことで、良心が覚醒されたのでしょう。

また南米アメリカ大陸においても、子供たちを生贄(いけにえ)として捧げることが宗教儀式として当然のこととして行われていたようです。
それを止めさせたのはやはりカトリックの宣教師でした。

南米大陸においてカトリックが侵略のお先棒を担いだというのも事実です。
しかしカトリックを含むキリスト教の宣教が、子供たちの踏みにじられていた人権・生存権・社会的権利を回復することに大きな役割を果たしたというのも、神の御前において尊い事実であるのです。

子供は軽んじられる存在であり、人権を踏みにじられて当たり前の存在でした。
神様は、踏みにじられている者の味方であられ、助けてくれる者がなくて絶望する者の光となってくださる御方です。

父なる神は御子イエスをこの社会に送ってくださり、御子を信じる人を通して、子供の人権を守る働きを開始されました。

◎平安と祝福を祈っています。

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