人生の秘訣は神の意志を知り、それを実践する力だけを求めること

自分の思い込みでは人生はうまく行きません。
人生をうまく生きていこうとするなら、人々との関係と神との関係に留意することが生命的に重要なことになります。
聖書には思い込みで人生をなんとかしようとして手痛い失敗をした人々のことが書かれてあります。

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1.成功哲学の致命的な欠陥とは?

私たちは「こうしたら必ずうまく行く」と書かれた本を読むのが好きではないでしょうか?
なぜなら読んでいるときに既に夢が実現したかのような気持ちになれるからです。

しかしいざ実行に移そうとすると、その本には書かれていない障害があることを知り、実現は不可能であると気づくのです。

成功哲学の致命的な欠陥は自分一人の心の持ちようで何とでもなると高をくくっていることです。

しかし真実はそうではありません。
人は一人で生きている存在ではなく、社会の中で生きている存在ですから、成功するにしても失敗するにしても、必ず相手がいます。
ところがこの手の本には、その肝心要の相手や環境についての理解が欠落している場合が多いようです。
これでは木馬にまたがり、鼻息荒く「はいどーどー、はいどーどー」と言っているようなものです。
どうもこの手の本の著者たちは、人間は一人で生きているわけではないということが分かっていないのかもしれません。

2.成功の秘訣は関係性の中で自分を見つめること

①人々との関係

この世(セキュラー)の成功哲学は周りの人々との関係を考慮に入れません。
たとえ考慮に入れているように見えたとしても、それはコントロール欲求や支配欲求がむき出しになっています。

このような哲学を信じて頑張る人々が最後に言うことは「こんなに頑張っているのに、なぜ分かってくれないの!」です。
しかし周りの人々は、あなたのために存在しているわけではありません。
かえって自分を分かって欲しいと願っている人たちばかりです。

ですから「分かってほしい」と願う人ではなく、分かってあげることの出来る人になるなら、成功は自然に転がり込んでくるでしょう。(その成功はこの世の人々が称賛するようなものではないかもしれませんが)

②自分を超えた大きな力(神)との関係

神はすべての人の心の奥底におられます。
この神の意志に自己意志が従うとき、人生はうまく行くようになります。

3.ひとり相撲と、神と相撲することの違い

イスラエルの民がエジプトを出国しカナンに向かう途中、神に従わなかった結果、自分たちの子供はカナンに入国出来るが、自分たち自身は入国出来ないことになりました。(民数記14:39~45)

この結果、イスラエルの一部の民はどうしたかというと、驚くべき行動に出ました。
それは神が「出来る」と仰ることを信じることが出来ずに失敗したのだから、今度は「出来る」と信じて敵の陣地に突っ込めばよいと考えたのです。

モーセはこのような愚かなことをする者たちに「あなた方と一緒に神がおられないのに、そんなことをしても勝てるわけがないだろう」と諭(さと)しますが彼らは聞く耳を持ちませんでした。
それでどうなったかといえば、敵に散々追いまくられ、あたかもドンキホーテのようになってしまいました。

4.神の約束は命令でもある

「あなたがたは聖霊の力を与えられるまで、エルサレムで祈っていなさい」[ルカ24:49]

イエスが贖(あがな)いの業(わざ)をなし遂げて、今や天に帰ろうとするとき、約束された聖霊を待ち望むようにと言われました。
弟子たちは、このイエスの言葉を命令として受け取りました。
それで心は非常な喜びにあふれていたのですが、すぐに宣教活動に踏み出すことをせず、約束の聖霊が与えられるまで祈り続けました。

この出来事は現代に生きる私たちに大切なことを教えています。
それは人間は神と共に生きるのでなければ生きていけないということです。
まして宣教の業を進めていくことなどは決して不可能であるということです。

神が「止まれ」と言われれば、私たちは止まらなければなりません。
神が「聖霊が与えられるまで祈れ」と言われれば、私たちは与えられるまで祈り続けなければなりません。
この点で私たち現代に生きるクリスチャンは、神様から及第点をいただくことが難しいようです。

5.救いの恵みと聖霊のバプテスマは別のもの

信じて、救われて、洗礼を受けて、それで一人前なのではありません。
神はそのような人々に対して「聖霊が与えられるまではクリスチャンとしての活動を始めないで、まず聖霊が与えられるまで祈り続けなさい」と言われたのです。
もし私たちが、この明確な神の命令に背いて、表面は従っているふりをして神の命令である大宣教命令を実行しようとしても、今日学んだイスラエルの民のように、敵に散々な敗北を期することは火を見るより明らかではないでしょうか?

◎この時代に神の栄光を見たいと願うなら、神のみこころに従うことが必要です。
平安と祝福を祈っています。