空っぽを認めると、神によって満たされることが出来る

人生の中で一番大切なことは何でしょうか?
それは正しい自己認識です。
では正しいし自己認識とは、一体どのようなものでしょうか?
それは自分の中身が空っぽであるのを気づくことだと、ありのパパは考えています。

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①空っぽとは無力ということ

人によって[空っぽ=無力]である対象や領域は異なります。
ある方はダイエットに対して無力です。
あるアメリカの教会から講師が日本にいらしたことがあり、ありのパパも出席しました。
そのとき、講師が「私たちは自分の力では何も出来ない。体重を減らすことさえ出来ない」と言われました。(その講師は太っていました)
それを聞いて(ダイエットに成功していた)ありのパパは心の中で「それは、おかしいやろ!」と思わずつぶやきました。
「ダイエットさえ成功できない聖霊の力とは何ぞ?」とうそぶきました。

しかし人によって無力である領域や対象は違うのです。
ある人はダイエットに対して無力であっても、アルコールに対しては節制できます。
夫はセックス依存症で、妻は買い物依存症、子供は大麻依存症という場合もあります。

②自分の空っぽは見えないが、人の空っぽはよく見える

多くの場合に自分のことは棚にあげて、人のことは非難します。
お母さんが「うちの子は、本当に勉強しなくて困っています」
ありのパパは心の中で「そりゃ、あんたが勉強せんからやろ」と毒突きつつ、「お母さんも何か勉強を始めたら、お子さんにも良い影響があると思います」と言います。
お母さん:「え~?私は子供時代にたくさん勉強しましたから、勉強はもういいです」
ありのパパ:(心の中では)「寝言は寝ているときに言って欲しい」と思いつつ、「そうですね。十分勉強なさいましたものね(ほんとはちっとも勉強なんかしてないくせに)。でもお母さんの子供時代をお子さんに見せることは不可能ですから、今の姿を見せるしか方法はないわけです」
お母さん:「(不服顔)」
ありのパパ(心の中)「これを機会に新しく勉強を始めましょう(笑)。」

③自分が空っぽであることを知っていたモーセ

モーセの兄弟であるミリアムとアロンは「あなただけが特別に神の心を知ることが出来ると思っているのか」とモーセに抗議しました。[民数記12章]

これは神と人間の関係についての理解が決定的に不足していたことが原因でした。
他人が行った業績だけを見て、自分にも出来ると考えるのは健全なことではありません。
そこにどんな苦しみや困難があったかを考えることが出来ない想像力の欠如が問題です。

モーセは自分が空っぽであることを知っている人でした。
若いとき、イスラエルの指導者になろうとして失敗し、命からがらエチオピアに逃げたこと。
神に選ばれたときもゴネたこと、選ばれてからも様々な失敗をしたこと。
これらの経験によって、自分の内側には使命を遂行するための素質や能力が全くないことを知っていました。

④神の力に満たされる秘訣は空っぽを自覚すること

自分が空っぽであることを知っている人だけが、神が聖霊の力で満たすことがお出来になります。
自分の内側に良きものがあると思っている人は、いつまで経っても神の力に満たされることはありません。
なぜなら自分の無力の告白と神の力の付与は、ワンセットだからです。

◎罪に対して無力である人を罪人と言います。
あなたは御自分が罪に対して無力であることを認めておられるでしょうか?
それとも心の中で「今に見てろよ。こんな私でもいつか一丁前の人物になってみせるから」と思っておられるでしょうか?
早く、空っぽの自分に気づいたほうが、どれだけ楽な生き方が出来るか分かりませんよ(笑)。
この生き方こそ、キリストのうちに憩(いこ)う生き方です。
平安と祝福を祈っています。

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