何かをなし遂げようとしたら、権威を持っていることが必須の条件

今日は皆さんとご一緒に、権威ということについて考えてみます。

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1.ウェスレーの受けた批判とは?

18世紀英国に生きたメソジスト教会創設者のジョン・ウェスレーは、当時の教会関係者から次のような批判を受けていました。
それは「ウェスレーの説教を聞いても恵まれないから、本物ではない」というものです。
みなさんが、このような批判にさらされたなら、どのようにお答えになるでしょうか。
「私が悪うございました。もっと恵まれた説教をなすことが出来るよう、お祈りいただけるなら幸いです」とお答えになりますか?
もちろん一人一人の置かれた立場によって、どのように答えるかは変わってくるでしょう。

ウェスレーはこのように答えました。
「聖書を見ると、イエスでさえ当時の律法学者から偽物であると批判された。であるから説教が恵まれないと批判されるとき、いつでも当人に問題があるとは限らない。この場合はイエスに問題があったのではなく、律法学者に問題があったのだ。そして神の御子であるイエスでさえ、律法学者がもっている問題を乗り越えて、彼らに恵みを及ぼすことは出来なかった。とすればなおさらのこと、罪人に過ぎない私たちが全ての人が恵まれるような説教をなすことは出来ないことである。」

ウェスレーならではの反論であると思います。
説教者のメッセージを聞いて恵まれるのは、神が与えてくださる先行的恩寵に従っている場合のみということを言いたかったようです。

2.権威の何が重要なのか?

説教中のイエスに当時の宗教指導者である祭司長・律法学者・長老たちが「あなたはどのような権威に基づいて活動をしているのですか?またその権威を与えたのは誰ですか?」(ルカ20章)と質問しました。

①皆さんならどのようにお答えになるでしょうか?

イエスは果敢にも律法学者に喧嘩を売ると言いますか(笑)、「その質問に答える前に、わたしの方から一つ質問させてもらおう。その質問に答えてもらってから、わたしも答えるとしよう」と言われました。
イエスの質問とは、「バプテスマのヨハネの権威はどこから来たのか。創造者である神からか、それとも被造物である人からか」というものです。
「なんのこっちゃ」という感じかもしれませんが、イエス様は大衆に人気があったバプテスマのヨハネは神から出たのか、それとも人間から出たのかと、お問いになられたのです。

②律法学者たちが明確に答えられなかった理由とは?

イスラエルでは人が作った偶像教を認めませんから、「人から出た」と答えることは偶像教であると言うのに等しいことであり、この答えは大衆を怒らせます。
しかし大衆がこわいからと言って、「神から出た」即ち真の宗教であると答えると、今度は「ではなぜ信じなかったのか」と詰問されるのは火を見るより明らかです。
その結果、面目は丸潰れですが、大衆に殺されずに済む唯一の答えである「分かりません」と答えるほかはありませんでした。
イエス様は「わたしは自分が何の権威によって活動しているかを答えることが出来ないような者ではないが、あなた方のような人々にあえて答えることは止めておこう」と言われました。

3.私たちは何の権威によっている?

①何かを遂行するためには権威の下にいなければならない

主婦であるならどのような権威によって家庭を運営しておられますか?
会社勤めの方であるなら、どのような権威によって仕事をしておられますか?
この質問に正しく答えられないとストレスが溜まります。

なぜなら使命を遂行するには何らかの権威の下にいなければならないからです。
その権威が何なのかを知らなければ、私たち自身が不安になり、確信をもつことが出来ません。

②自分の権威がどこから来ているか知っていると媚びなくてよい

不登校児のお世話をしていたとき、そのお子さんがありのパパに食ってかかってきたときがありました。
子供:「先生は俺のことを信用していないのか!」
ありのパパ:「全然信用していない」
子供:「な、なんだと~!」
ありのパパ:「私の使命は君が社会的に信用されるような人間になるのを、お手伝いすることだ。もし君が今現在すでに信用できるような人間なら、私の仕事はない」
このように申し上げたところ、彼は心底納得してくれ、「よろしく頼む」と言ってくれました。
それでその話し合いの最後に聞いてみました。
ありのパパ:「ところで、君は君自身のことを信じてるかい?」
子供:「ううん、全然信用してない」
ありのパパ:「それでよく、私に『信用してないのか!』と言えたもんだな」
子供「ほんとだね」
二人で大笑いしたことです。

この場合、私は自分の仕事をするための権威がどこから来るのかを知っていましたので、この質問をされても動じることがありませんでした。

◎「どんな権威によってなしているのか?」という質問への答えをもっていることは生命的に重要なことです。
私たちもまた即座にその質問に対して答えることの出来る者でありたいものです。
平安と祝福を祈っています。

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