真の聖書信仰とは?

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1.大昔から多様性の時代だった

現代は何でもありの時代であると言われます。
これを難しく言うと、多様化の時代ということになるでしょうか。
しかしここには理解の落とし穴というべきものが潜んでいます。

なぜなら信仰が多様化しているのは何も現代だけに限ったことではなく、旧約聖書の時代からそうであったからです。
旧約聖書は神が唯一であることを証し、新約聖書はその唯一の神が三位一体であることを証しています。
神はイスラエルの民の中から、アニミズム的多神教を取り除こうとされました。
その土台の上にキリスト信仰が打ち立てられました。

ですから唯一神信仰抜きのキリスト信仰は単なる博愛主義と何ら変わるものではありません。
ところがキリスト教信仰が西洋社会で多数派になるにつれて大きな誤解が生じました。
それはこの世からアニミズム的多神教を取り除くことが出来るという錯覚です。
この錯覚の結果どうなったかというと、キリスト教信仰の中から霊的戦いなどの概念が失われてしまいました。
それにつれてキリスト教から力強さがなくなり、死せる正統主義が教会に蔓延するようになりました。

2.戦わないで勝利を得ることは出来ない

聖書はこの世をアニミズム的世界観によって動いている社会であると定義しています。
ですから教会がどれほど拡張しようとも、この世からアニミズム的世界観がなくなることは絶対にあり得ないことです。
アニミズム的世界観がなくなるのは、キリスト者の心とキリスト者によって構成される教会の中だけです。
その教会にしても常に警戒してアニミズム的世界観が教会の内側に侵入しないように戦っていなければならないのです。

この部分は建物で言えば、土台に当たる部分です。
イエス様はこの土台がしっかりしていなければ、嵐のような迫害や艱難が襲ってきたとき耐えることが出来ないと言われました。
その言葉通り、日本の教会は戦前、神道原理主義政府の迫害に屈してしまいました。
韓国や中国の教会は迫害に屈せず、聖書に忠実な信仰を守り抜き、現在リバイバルを経験しています。
なぜ隣国の教会はリバイバルし、我が国の教会はリバイバルしないのかを考えるとき、その理由は明らかです。
そうであるにもかかわらず原因に目を向けようとせず、ただ神様抜きの方策だけを探し求めているのが我が国の教会ではないでしょうか?

3.釣り合わぬくびきを負ってはならない

中国や韓国であれば決してあり得ないようなことが、我が国では平気で行われます。
これに対して「中国や韓国は争う国であるが、わが国は和をもって尊しとなす国だから」と言う人がおりますが的外れも甚だしいことです。
たしかに中国や韓国は、日本人から見ると見苦しいほど自己主張が激しい国であるかもしれません。
しかしこれは我が強くてそうしているのではなく、神のみこころを行おうとしてそうしているのです。
その結果としてリバイバルが起きているのをみれば、どちらが神のみこころに忠実であるかは明らかでないでしょうか?
私たちの国の教会が大切な原則をないがしろにして目に見える偽りの一致を求めるなら、私たちの国にはいつまで経ってもリバイバルが与えられることは決してないでしょう。

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