底付きとは継続的に自分の真の姿に気づいていくこと

聖書の『放蕩息子の話』は有名ですが、今日はそのお話の中の「気づき」ということに焦点を絞って考えてみます。[ルカ15:17]

スポンサーリンク

①放蕩息子の気づき

父親から生前贈与を受けて、財産の半分をかっぱらった弟息子は、とんずらをこき見知らぬ土地で湯水のように財産を使い果たします。
そのとき初めて弟息子は心に変化が訪れます。
新改訳聖書は「我に帰った」と訳し、現代訳聖書は「気づき」と訳しています。

②気づきとは底付きのこと

AAではこれを「底つき」と呼んでいます。
呼び名は違っても意味していることは同じです。

昔は底つきを経験しない限り、アルコール依存症から癒されることはないと思われていたそうです。
しかし現在では底つきとは程度の問題を指すのではなく、事態を正確に把握するようになることを指していると考えられているようです。

自分では酒を止める力がないにもかかわらず「こんなものは止めようと思ったら、いつでも止められる」と自分に嘘をつき、周囲の人々をだまします。
底つきとは、これを止め、自分が無力であることを認めることです。

③気づきは一度限りではなく継続的に与えられるもの

ジョー・マキュー(12ステッププログラムを中間施設で利用するリカバリー・ダイナミクスとして改変した人)に編集者が「12ステップについて気づきが与えられたのはいつ頃ですか?」と尋ねたところ、彼は変なことを質問するという顔をして「今も気づきを与えられ続けています」と答えたそうです。

私たちも生きている限り、一生涯ずっと気づきを与えられたいものですね。
気づきは人生に転機をもたらしますが、一度限りのものでなく、継続的に与えられるものです。
気づきなしで成長すると(それを果たして成長と呼べるか分かりませんが)必ず傲慢になります。

では成長しない方がいいのでしょうか?
それでは『そのまんま』です(笑)。

◎私たちに用意されている道は、気づきが与えられ、人生を軌道修正しながら、成長していく生き方です。
決してたやすくはない道ですが、ご一緒に歩んでまいりましょう。
平安と祝福を祈っています。

スポンサーリンク