本当に愛していたら他のことを考えずに即座に実行するもの

愛していれば即座に癒そうとします。
「時間が来るまで待っていなさい」と平気で言えるのは、その人を本当には愛していないからです。
イエスは人を癒やすとトラブルが起きると分かっていながら迷うことなく人を癒やされました。
それは愛しておられたからです。

「水種を患っている人が、イエスの正面にいた」[新約聖書ルカの福音書14章03節]

安息日は礼拝以外何もしてはいけないというユダヤ教の教えに背(そむ)いて、イエスは病人を治されました。

もし現代にこんな人がいれば、きっと教会から非難轟々(ごうごう)だと思います。
いわく配慮が足りないとか、証にならないとか、人を躓(つまづ)かせるとかです。

これが私たちなら信仰上の教えと何とか両立させようとするのではないでしょうか?
イエスにとっても安息日が終わるのを待ってから癒しの業をなすことも可能でした。
しかしイエスはあえてそうなさらずに、安息日に、しかも律法学者が見ている目の前で、明らかにユダヤ教の戒律に違反することを行いました。

なぜでしょうか?
それはイエスが私たちを愛しておられ、私たちの有り様を見て可哀想に思われたからです。
律法と愛を両立させようとするとき、実は私たちはそんなに人々を愛してはいないのです。

たとえば子供が夜中に急に発熱したとき、夜中であってもタクシーに乗せてでも救急外来に行くでしょう。
タクシー代がもったいないと言って、朝が来るまで待つ親はいません。
このように本当に愛している者が苦しんでいるときは、様々なものを犠牲にしてでも何とか助けようとするものです。
それに同じように救い主であるイエスは私たちを本当に愛しておられたのです。

◎今もイエスはあなたとともににおられ、あなたの病・問題・悩み・悲しみ・困難を癒し、解決しようとしておられます。
平安と祝福を祈っています。

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