人々の必要に応えることが出来てこそ、本物のキリスト教と言える

キリスト教の看板を掲げていても、人々に売るものがない状態なのが現代のキリスト教会ではないでしょうか?
そのように思い至ったありのパパの経験をお話します。

ありのパパが会社勤めをしていたとき、忘れられない経験がいくつかありました。
それは感動したとかではなく、本当は持っていなければならないはずの力を持ち合わせていないことに気づかされたということです。

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1.親御さんの悩みに答えられない

会社の同僚と夜遅く仕事を終えて一緒に地下鉄で電車を待っていたときでした。
ふいにその同僚がこんなことを言うのです。
「僕は自分の父親が早くに亡くなり、父を知らずに大人になり結婚をし、自分も父親になった。そのためかどうか分からないが自分の子供に対してどのように接して良いか分からない。助けて欲しい」と言うのです。
それを聞いてありのパパは何とか役に立つことを言おうとしたのですが、有益な答えが何も出てきませんでした。
これが人々の持つ問題に対する有効な答えを自分が持っていないことを自覚した初めての経験でした。

2.一般の人にキリスト教をうまく説明できない

会社の先輩がある日、キリスト教について話を聞きたいと切羽詰まった顔をして言われます。
いつでもどうぞと言うことで、社員旅行のとき、その先輩の話を聞かせてもらいました。
そしていくつか先輩から質問されたのですが、ありのパパは教理問答のように模範解答(!)を答えてしまいました。
たぶんその血も涙もない模範解答に反発を覚えられたのだと思うのですが、急に態度が替わり「やっぱりキリスト教なんて、でたらめだ!」と一方的にまくし立てられました。
既に時遅しで「先輩、僕の話も聞いてくださいよ」と申し上げても、「お前の話なんか聞く必要ない!」と言われ、心の中では「あなたが僕に話を聞きたいと言ったのではないか」と思いつつも、今それを言ったら、もっと油に火を注ぐことになると思い、黙るほかはありませんでした。

3.登校拒否のお子さんの問題に答えられない

何年かして営業担当となりました。
その中に喫茶店を経営しておられるお客様がおられたのですが、どうやらそのお子さんのうちの一人が学校に行っていないようでした。
そのお子さんは家にいますので、ときどきありのパパと会うことがありました。
明らかに問題を抱えていることが分かりました。
お客さんであるご両親はどうしてよいか途方に暮れておられました。
そしてありのパパにも、相談をされるのです。
しかしありのパパはクリスチャンであると言いつつ、どのように対応したら良いか皆目見当(かいもくけんとう)がつきませんでした。
ただ黙ってお話を聞くだけでした。

これらの経験から、明確な救いの経験を持ち、聖霊のバプテスマにあずかり、日々聖書と祈りをなし、鬼のように教会の集会に出席していても、それでもなお人々の必要にちっとも答えることの出来ない自分を認めざるを得ませんでした。

4.死に行く人々に救いを伝えることが出来ていない

仕事がらお客様のお葬式に出席する機会が多かったのですが、これも私を苦しめました。
少ないときでも月に1・2回はありましたし、寒かったり、暑かったりする日が何日か続くと、必ずどなたかが亡くなります。
冬の寒い時期に一週間の間、毎日葬式に出ていたこともあります。
その方々の遺影を見ながら、お祈りをするのですが(お焼香はしませんでした)、心の中で「この人にも福音を伝えないまま、死んでしまった」と嘆くのです。

5.病の人に癒しを伝えることが出来ない

お客さんの中に大金持ちのおばあちゃんがおられました。
その方がある時、こう言われるのです。
「リュウマチの注射を今からしに行くのだけど、これがね痛いんだよ」と悲しそうな顔をしながら仰るのです。
ありのパパは、心の中では「この場で癒しの祈りをしようかな」と考えましたが、「祈っています。癒されるといいですね」とだけ申し上げてお別れしまた。
そうしたところ何日かしてその方が亡くなったという知らせがありました。
近所の人の話によると、首を吊って自死したとのことでした。

人々が背負っている現実の問題に答えることが出来ないばかりでなく、答えを持っているはずの永遠の命についても、人々にお伝えすることが出来ていない自分を見せつけられました。
はっきりと分かったことは、人々は現実に抱えている問題を解決する中で、神を知り、永遠の命について知るという道を通るのでなければ、神に出会うことはないということです。

「それでお前はその答えを見いだしたのか?」と皆さんはお聞きになると思います。
答えは「ある程度わかったけれど、まだ分からないことの方が多い」というものです。

◎キリスト教のために宣教するのではなく、人々の問題を解決するためにキリストの福音が必要であるゆえに、これからも人々にイエス・キリストをお伝えしていこうではありませんか!
平安と祝福を祈っています。