聖霊すなわち火のバプテスマとは何を指しているのか?

キリスト教の教派によって解釈が大きく異なる聖霊のバプテスマですが、ありのパパはどのように理解しているかを述べます。

「その方は、あなたがたに聖霊すなわち火のバプテスマを授けられる方です」[ルカ03:16]
「また脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に収め、殻を消えない火で焼き尽くされます」[ルカ03:17]

        

1.キリスト教の各教派の主張

a.これはキリスト者経験における第二の転機である聖潔(きよめ)の恵みを指している。(ホーリネス系教会の主張)

b.これは再臨の時の、神の裁きを指している。(カルビン系教会の主張)

c.これは救いの経験とは別の、聖霊に満たされる経験を指している。(ペンテコステ教会の主張)

これらの主張の違いは、17節をどのように理解するかに掛かってきます。
すなわちホーリネス派は、内心の潔めと捉え、カルビン派は地上にある悪への裁きと捉えます。

        

2.「私の後から来る方」は人となって来られたイエスを指している

ありのパパはどのように理解しているかと言いますと、16節の「私の後から来られる方」がカギになると考えています。
なぜなら、これによって解釈の範囲が時系列なものに限定されるからです。
どういうことかと申しますと、再臨の時の神の裁きは(当然のことながら)再臨のイエスによって行われるのであり、初臨のイエスによって行われるのではありません。
もちろん初臨のイエスも再臨のイエスも、同じイエスさまですが働きの性質が違います。
初臨のイエスは救い主としての働きであり、再臨のイエスは裁き主としての働きです。

そこで重要になるのは「私の後から来られる」の「後」をどのように捉えるかです。
ありのパパは、これを初臨のイエスの働きを指していると考えています。
そうすると17節を再臨の時の裁きであるとするのは間違いであるということになります。

        

3.17節は全き潔めを指しているのか?

この聖書箇所を正しく理解するカギは「ご自分の脱穀場」をどのように捉えるかに掛かっています。
なぜなら脱穀場が信仰者の内面を指していると考えるなら、それは当然のこととして完全な聖潔へと向かうのが論理的帰結です。

では「ご自分の脱穀場」とは一体何を指して言われているのでしょうか?
それは第一にイスラエルを指しています。
第二に霊的イスラエルすなわち教会を指しています。

そうすると以下の理解になります。
17節で言われている「きよめ」は信仰者個人の全き潔(きよ)めでもなく、再臨の時の神の裁きでもない。
これはご自分の脱穀場、すなわち神ご自身の民であるイスラエルと霊的イスラエルである教会の裁きを指している。

現に西暦70年にはエルサレムがローマ軍によって包囲され陥落しました。
これによって国家としてのイスラエルは滅亡しました。

そして教会も堕落するたびに神の裁きを経験してきました。
ですから、このきよめは歴史における神の裁きを指していると考えるのが妥当です。

◎私たちキリスト者は聖書を独りよがりでなく正しく健全に理解していきたいものです。
平安と祝福を祈っています。

        

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聖霊すなわち火のバプテスマとは何を指しているのか?」への2件のフィードバック

  1. 「聖霊すなわち火のバプテスマ」の件。
    ありのパパさん。こんにちは。

    >「その方は、あなたがたに聖霊すなわち火のバプテスマを授けられる方です。」
    [ルカ03:16]

    このテキストって、何訳でしょうか。この本文ですと、聖霊=火です。(キンテイ訳不可)

    新共同訳、新改訳、口語訳、文語訳ともに、「聖霊と火」というように、別物になっていまして、私としては、聖霊はきっとペンテコステのことで、ありのパパさんと同意見で、んで、火のバプテスマって何でしょうかと、意見を聞きたかったのですが、ふと本文を見たら、イコールになってて、質問できない状態だったのでしたミ^^;ミ。

    しかし、文語訳から来るイメージで、どうもこれは、確かに、実っていない、カラだけの実を焼き尽くす火のようです。

    で、聖霊の働きの場合、確かに、ミニストリーの立ち上げと、その最後の辺りで、裁きの業が行われました。ただこれらの現象をもし言い表すならば、【殻を火で焼き払われる】と言うのなら分かりますが、【消えることのない】をわざわざつけた意味がわかりません。そこできっと、永遠の裁きの事をさして言ったのでは無いだろうかな~とか、思ったりしたのですが、いかがでしょ?

    ああでも、この【消えない火】は聖霊に逆らう現象が人々にあっても無くても、消えなくて、イエス様の、えり分けが行われれば直ちに、カラは燃えます(つまりカラのまま保存されない)という意味でもありますね。

    いずれにしても、実を実のらせる努力をしていないと、燃えてなくなる運命であると、バプテスマのヨハネは言いたかったのかなと思いました。

    一方、みのって、中身がある実は、倉に納められる。つまり、次に蒔かれるまではずっと残り続けると言うことですか。

    (なんか自己完結したようなミ・・ミ)

    というわけで、訳、お願いします_ミ_ _ミ_

    ありがとうございました。

  2. 通りすがりの猫さん、こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    引用した聖句は現代訳聖書からの引用になります。

    よろしくお願いいたします。

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