本音があらわになるとき

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1.隠された本音が実は生き方を決定する

「この幼子により、人々の心に隠されている本音が露わになる。」[ルカ02:35]

この聖書の言葉は、本当に救い主を求めているのか、それとも単なる幸福製造機を求めているだけなのかが明らかになると言っている箇所です。
この預言通り、救い主を求めていた心の真実な人々はイエスを信じましたが、大多数のユダヤ人は自分の言いなりになる単なる幸福製造機を求めていただけでしたので、イエスを十字架に掛けて殺してしまいました。
このようにして人の心の奥底に隠れている本音が露(あら)わになり「ある者は信じて救われ、ある者は信じないで滅ぼされる」のです。

ある方がありのパパに「キリスト教の側にさまざまな問題がある。だから日本で拡がらないのだ」と言われました。
確かにそのような面もあるでしょう。
しかしこの方の認識で決定的に欠けているのは、信じる側の心の有り様です。
人々がたやすく信じることが出来るようにキリスト教を改変しても、それは形だけの信仰を持ちつつ最後には滅ぼされる人々が増加するのに過ぎないでしょう。
そんなことには何の意味もないどころか、そのような信仰を宣べ伝えた者も滅ぼされてしまうのです。

2.信仰に入る前に必ず悔い改めがなければならない

悔い改めとは「今まで自分は自分の思い通りになることが救い(幸せ)であると誤解していた。実はその間違った思い込みが私が幸せになることが出来ない原因であった」という告白です。
信仰者にも「わたしの願いがかないますように」と祈り、「この祈りがかなえられたら私は幸せになれる」という間違った自己認識を持つ場合があります。
このような自己認識こそが信仰をもちつつ地獄に真っ逆(まっさか)さまの道であるのです。

3.本音で生きるために

本音があらわにされたとき、あわてなくて済む準備は出来ているでしょうか?
そのためには普段から本音で生きることです。
本音を隠して建前で生き続けていると、自分でも自分の本音が何であるのかを忘れてしまうようになります。

中には「本音って、何?」と言われる方もおられます。
生まれてからこのかた一度たりとも本音で生きることを許されず、自分でも知らず知らずのうちに自分の願うようにではなく人様の願うように生きてきたために、いまさら「本音で生きよ」と言われても何のことやらさっぱり分からないのです。
このような方が日本人には案外多いのではないかと感じています。

自分でも自分の本音を知らないままに、自分の人生を生き、その挙げ句に神様に自分の本音をあらわにされて、そのとき驚きあわてても遅いのです。
そうならないためには普段から本音で生き、自分でも嫌だなと思う本音と日々対面することです。
本音が出てこない人は、やさしく自分の本音を包み込み、建前の自分ではなく、本音の自分を赦し、愛し、慈しんであげることです。
そうしますと徐々に自分でも驚くような本音が顔を出してまいります。
そしてその本音を神の御前に持ち出すことです。
このような生き方をしているとき、天の御国があなたのところにやってきます。

◎平安と祝福を祈っています。

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