やがて宣教できない時代がやってくる。その前に存分に宣べ伝えよう!

我が国の歴史を見ると70年程度のキリスト教の宣教が許された時代が過去に二度ありました。
現在は三度目に当たります。
キリシタンの時代が一度目であり、戦前の時代が二度目になります。
今回は戦前の我が国の宣教の失敗の原因について考えます。

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1.山室軍平と武士道精神

今日(8月20日)は日本における救世軍の創設者である山室軍平が生まれた日です。
彼は1940年に亡くなっていますが、神道原理主義政府は日本基督教団設立を彼が死ぬまで待っていたと言います。
彼が亡くなり、気骨をもって政府に対処できる人がいなくなった後に悪魔的な施策を実行しました。
それはキリストのものである教会を、神道原理主義による監視下に置くことを真の狙いとする教界の強制統合でした。

山室軍平は武士道精神をもった最後のキリスト者と言うことが出来るでしょう。
しかし時代は変わり、どこを探しても武士道の武の字も見つけけることは出来ません。
これは仕方ないことです。
なぜなら武士道は封建時代に限定される思想だからです。
キリスト教会も、日本国も、武士道に代わり得る精神を見いだせなかったことが、神道原理主義に国を乗っ取られた真の原因です。

2.武士道からキリスト教へ

武士道に代わって、私たちを支える生き方を見つけ出す必要があります。
それは神との豊かな人格的交わりを中心とするペンテコステ主義キリスト教です。

戦前のリベラル派教会や福音派教会が神道原理主義になぜ敗北したのかを考えるとき、聖霊による人格的交わりということが信仰者にとっての生命線であるのを再確認することが出来ます。

リベラル派教会のやり方である、この世の人たちに何とかキリスト教を分かってもらおうとする姿勢は神道原理主義に飲み込まれてしまうという結末に終わりました。
また福音派教会の霊的な交わり抜きの聖書信仰は、神道原理主義に対抗する力を持ち得ませんでした。

神との霊的な交わり、即ち聖霊のバプテスマのときに同時に与えられた異言を用いての神との人格的交わり以外に、悪魔とその勢力に対抗する力を私たちを与えるものはありません。

3.いつか宣教できないときがやって来る

キリスト者にとって、夏の季節は私たちの先輩が過去におかした失敗に心を寄せるシーズンでもあります。

①キリシタンに与えられた宣教の期間

戦国時代のカトリックが、宣教を許された期間は僅か64年間でした。
私たちの時代も、完全な信教の自由が与えられてから64年が経ちました。
これ以降、苛烈な迫害の時代をキリシタン達は生き抜いていかねばなりませんでした。
(テレビの大河ドラマを見るとき、漫然と見るのではなく、この時キリシタンたちはどのような状況に身を置いていたのかに思いを馳せながらご覧くださると、新たな気づきが与えられると思います)

②戦前のキリスト教会に与えられた宣教の期間

戦前のキリスト教会に与えられた宣教の期間は70年でした。
戦前のキリスト教会の特徴は、福音派教会はこの世に対する視点を全く持ち合わせていなかったということにあります。
また、神からリバイバルを体験させていただいたにもかかわらず、ホーリネス教会は二派に分裂しました。
内向きの争いにエネルギーを取られて預言者の使命を果たすことが出来ませんでした。
その性質を戦後も引き継ぎ、福音派教会は政治に対して関心がありません。
個別の政治状況に逐一反応する必要は勿論ありませんが、戦前の日本と教会を滅ぼした神道原理主義への警戒と監視を怠ってはなりません。
そうでなければ預言者としての使命を果たしているとは言えないのです。

③教会に与えられたこれからの宣教の期間は?

現代の私たちキリスト教会に与えられた宣教の期間がいつ幕を閉じるかは、神様以外に誰も知りません。
過去の間違いから教訓を学び、現在の宣教と教会建設に活かしていかなければなりません。

○政治に対する無関心を改めること。
○教会堂中心主義を改めること。
(これだと教会堂への出入りを禁止されたら、手も足も出なくなります。実際にホーリネス教会への弾圧ではこのようなことが起きました)
○教理教育とともに、神との霊的交わりを強調すること。

「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」[Ⅱテモテ04:02](新改訳)

◎平安と祝福を祈っています。

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