旧約聖書に記されている律法に対する正しい理解とはどのようなものでしょうか?
また新約聖書があるから旧約聖書を読む必要はないという意見は正しいでしょうか?
この二つの問題を考えます。
目次
1.律法をどのように理解することが正しいことか?
律法をどのような理解をするべきかについて様々な立場があります。
①律法に対するさまざまな考え方
再建主義キリスト教のように、律法の一点一角に至るまで忠実に再現しなければならないと主張する人々もおります。
(この立場は改革派教会の流れですが、その改革派教会から異端宣告されていますので、正統なキリスト教と認めることは出来ません)
ここまで極端にならないとしても、福音と律法の関係は大変興味深い題目です。
初代教会のひとつであるエルサレム教会は、この問題に足をすくわれ、救いからこぼれてしまいました。
またこれとは反対に律法廃棄論と言って「すべての律法は十字架によって無効になった」と考え、その揚げ句に不道徳に身をやつしたグループもたくさん存在します。
現代日本における弟子訓練教会の牧師の言っていることを聞くと、律法廃棄論の影響を見ることが出来ます。
②律法に対する正しい考え方
正統的キリスト教の立場は、へブル人への手紙を根拠に、儀式律法や衛生律法は廃止され、その他の律法は成就したと考えます。
成就したとは、その律法が目指していた真の目的が実現したということであり、破棄するのとは違います。
たとえば大学入学を目指して受験勉強し、その目的を成就し入学できたとします。
そうするとその人は二度と受験勉強をしません。
ここで再び受験勉強するのが律法主義であり再建主義の立場です。
しかしだからと言って目的は成就したと言って、大学で学ぶことをやめたりはしません。
ここで大学で学ぶのをやめるという行動に出るのが律法廃棄論ということになります。
2.神のおきての本質は変わらない
「一緒にいる外国人を迫害してはならない。彼らを苦しめるようなことがあれば、わたし(神)は黙ってはいない」
これが決して変わることのない神の掟(おきて)です。
この御言葉を戦前の日本や戦争中のアメリカに当てはめるとピッタリと合うことに気づきます。
①戦前の日本が朝鮮にやったこと
強制連行によって連れて来られた朝鮮の人々に対する扱いの故に、殊に関東大震災の時の朝鮮人大虐殺の故に、日本は神に裁かれ戦争に負けたのです。
では神は一方を偏り見られる不公平なお方でしょうか?
いいえ、決してそうではありません。
韓国の教会は戦前、日本の圧力に負け、神社参拝という名前の偶像礼拝を行いました。
このことの故に朝鮮戦争の惨禍があったと、チョー・ヨンギ先生は述べておられます。
②アメリカが日本にやったこと
アメリカは黄色人種蔑視の思想により原爆投下という人道に対する罪を犯しました。
教会が大きな勢力を占めているにもかかわらず、現在のアメリカが様々な社会問題に悩まされる真の理由がこの罪にあると、ありのパパは考えています。
③神のおきてと私たち
このように神は公平なお方です。
神に従順するとき祝福が、反逆するとき裁きが下るのです。
もうそろそろ戯言(たわごと)を言うのを止めて、目を覚ますべきときです。
3.旧約聖書は廃止されていない
クリスチャンの中には、イエスの十字架によって律法が完成したのに今さらなぜ旧約聖書を読まなければならないのかと言う人がおります。
それで旧約聖書を読まなければならない理由をいくつか挙げます。
①旧約聖書は神が唯一であることを証している
旧約は神がお一人、つまり唯一であることを証しています。
これに対して新約は、その唯一の神は三位一体であることを証しているのです。
ですから両方読まないと、聖書的な正しい神観を持つことが出来ません。
②すべての預言は成就するが、その預言は主に旧約聖書に記されている
成就されたと言っても、律法の内容を知らなければ、一体何が成就したのか皆目(かいもく)見当がつきません。
③神の創造の御業を真に理解するため
旧約には天地創造が記され、新約には今の天地が滅びる様子と、新天新地が再創造される様子が記されています。
これも両方合わせて読むとき、初めて正しく理解することが出来ます。
私たちは律法に対する正しい理解をもち、旧約聖書をも熱心に読む民とさせていただきたいものです。
◎平安と祝福を祈っています。
初めまして。「律法について」拝見させていただきました。まとまった意見ありがとうございました。
③の「旧約聖書読まない」という人がいるのいるのですか。それは非常にもったいないと思いました。
あれは信仰の原則がごろごろしていますので。
また来ると思います。よろしくお願いします。
通りすがりの猫さん、こんばんは。
管理人のありのパパです。
コメントしてくださり、ありがとうございました。
また是非コメントしてくださいませ。
通りがかりの猫さんの所属教派や神学を教えてくだされば幸いに存じます。
これからもよろしくお願いいたします。
ありのパパさん。
コメありがとうございます。
えと、私事ですが、ブラザレンに10年いた後、結婚して、日基、聖公会、ルーテル、カルバリーチャペルの支教会と経験しまして、霊的に満足できず、ナオス神学校、それから聖霊を認める単立教会2つ、メシアニック、そして単立教会(これは主がストップしました)そして現在無所属です。
ただ自分達で集まりは持っております。5人ほどですが。一人は牧師先生をやっておられましたが現在お休み。もともと賛美リーダーでしたが、いまはこの小さな集まりのリーダーさせていただいています。
今まで出会った人たちで、日本のリバイバル/トランスフォーメーションを目指し、考え、自分なりに実行していく人々と連絡を取り合って、いま自分は、祈るべきだという事で、こもって祈っているところであります。
こういうとかっこいいんですが、世に働きに行っていませんので(実家に戻ってきたら仕事が無かったというわけで)ニートです。
それでも献金してくださる方がいまして、少しづつ食べているという状況で、主の御名をほめたたえます。
ありのパパさんのような総合的視野を持っているブログに出会えて、うれしく思っております。
なるべくアラシにならないようにしますので、よろしくお願いします。
_ミ_ _ミ_
通りすがりの猫さん、こんにちは。
ありのパパです。
さっそく自己紹介してくださり、ありがとうございました。
ブラザレンからは聖書的な教会論を学ばせていただきました。
『信徒の教会歴史』という題名だったと思います。
しかし(どこでもそうですが)聖書的な教会論をもっている割には恐ろしく閉鎖的な体質であると感じました。
(これは私が体験した個別の教会がそうだったと言うのに過ぎません。)
現在は『家の教会』のリーダーをしておられるのですね。
日本のリバイバルはスモールグループによって構成される教会から起こされるのではないかと期待しています。
5円・10円の献金で生活させていただく訓練こそ尊いものです。
通りがかりの猫さんが、将来有望な人物であることを確信しました。
どうぞ神様が猫さんの人生を豊かに用いてくださいますようにと祈ります。
これからもよろしくお願いします。