偽教師とは?

Ⅱコリント5章

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1.教理を聖書に読み込む理解の仕方は間違い

初めに教理があって、その教理を聖書の御言葉に当てはめ「私が信じた通りのことが聖書に書かれている」と確認する読み方では、いつまでたっても聖書に忠実な信仰にはなりません。
ある福音派教会が「私たちは聖書を重んじ、聖書に忠実な教会です」とホームページには記載しておりながら、説教では万人救済主義を説いているようにです。

ありのパパもかつてはそのような信仰者でした。
5章の中心聖句は17節であり「キリストによる新生体験」が5章の題目であると捉えていました。
しかし教理のメガネを外して、聖書を文脈に沿って読んでみると、違ったことが見えてきました。
確かに「キリストにある新生」が大切なのは変わらないのですが、パウロがこれを何のために書いているのかという部分を見落としてしまうと聖書を読んだことになりません。

2.パウロが書簡を送った理由

パウロの伝道意欲は強烈であり、当時の教会の人から見ても違和感を感じさせるほどのものであったようです。
そのためパウロは、なぜこれほどまでに人々を説得するのかを教会の人々に説明しなければなりませんでした。
そして「あなたがたも私とともに伝道してほしい」と嘆願するのでした。

さて、このようなパウロをある人々は「自慢したがり屋」であるとか、「自分自身に栄光を求める者」と言って中傷しました。
それへの弁明として5章11節から6章13節は書かれているのです。
地上生涯のすべてについて神の裁きの座で報いを受けるということが、パウロの伝道と生きる動機になっていました。
しかしこの時代にも、それとは異なる動機で教会内で活動する人々がおりました。
そのような人たちがパウロを中傷したようです。

3.偽教師の本質

パウロは彼らを偽教師という激烈な名前で呼びました。
これは単にパウロの性格の激しさを示すものではなく、彼らのリードで教会が歩みを進めていくと教会が変質しかねない重大な危険を含んでいるからでした。

パウロの偽教師の定義

①自分自身の死後に神からの報いを受けることではなく、この世における成功であるとか、名誉、栄達が活動の動機になっている。

②世間の基準と同じ基準で人々を評価している。

③「純潔・聖書に忠実・寛容と思いやり・純粋な愛」を持たずに活動している。

◎何人集めたか、どのような教会堂を建てたかではなく、どのような動機と心の有り様をもって奉仕に励んだかが神の御前で問われるのです。
平安と祝福を祈っています。

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