聖書は牧師の聖さと正直さについて何と教えているか?

聖書は牧師が教会員に対してどのように接すべきか明確に教えています。
それは聖さと真実ということです。
これは具体的にはどういう意味でしょうか?
詳しく見ていきます。

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①牧師の教会員に対する姿勢

「私たち(聖職者)が、世の中に対して、特にあなたがた信者に対して、人間的知恵を用いず、神の恵みに支えられて、聖さと真実をもって接してきたことは、私たちの良心が証する。これこそが私たちの誇りなのである」(Ⅱコリント01:12)

この聖書の言葉はパウロの告白です。

パウロだけでなく、彼にならおうとする全ての牧師がこのように告白できなければなりません。

最近、心痛む事件が続発しました。
牧師によって被害を受けた信徒の方々に、神様からの慰めをお祈りするとともに、神は決してこのような状況をこのままにしてはおかないであろうことを申し上げたいと思います。

②牧師による非倫理的行為

沖縄のある牧師は「裁判に勝ったから」という理由で、信徒から寄付させた土地を強制執行という法的手段に訴えて自分のものにしました。

浜松のある牧師は、裁判所が性的被害や暴力行為を認定したにもかかわらず、時効のゆえに訴えが届かなかったことを逆手にとり、「裁判に勝った」と強弁しました。

これは明らかに裁判の判決文の内容と異なる認識です。
なぜこのような明らかに虚意の報告を全国の教会になすことができるのでしょうか。

③教会成長のために何をしても良いわけではない

教会成長を世俗の事業と同じレベルでとらえているから、何でもありなのかもしれません。
しかし聖書のどこにも「教会成長のためなら、ずるがしこい人間的知恵を用いても良い」とは書かれていません。
それどころか明確に、聖さと真実をもって行動しなければならないことが書かれているのです。

④聖さと真実とは何か?

聖さとは、そのやり口の中に陰謀や詐欺的手段が含まれないことを指します。
真実とは、言い換えるなら正直であることであり、情報が全ての人に公開されていることです。

この視点からみると、問題を起こした教会は、そのどれもが会計報告が明らかにされておらず、教会内で起きたトラブルを隠蔽し、教会員に知らせていません。
ですから聖書の「聖さと真実」という点から見ても、甚(はなは)だしい脱線といわなければなりません。

⑤問題を起こした牧師と今も交流を持っている人への神のさばき

牧師を目指し、牧師として生涯を全うしようと志す者は、この世の事業家のような牧師に倣(なら)わず、聖さと真実をもって生きるパウロに倣う者でなければなりません。

それとともに、聖書から見て明らかに失格である牧師と、今も交流をもっている牧師や団体に対して厳しい態度をとらなければなりません。
そうしなければ神のさばきが、自分にも及ぶことになります。

脱線した牧師には悔い改めを、今も交流をもっている牧師には聖書をもう一度読み直すことをせつに求めます。

神の裁きは教会から始まります。

◎平安と祝福を祈っています。