キリスト教における分離主義について

今日は分離主義について考えてみたいと思います。
教会が堕落すると、教会を回復させる働き人が神によって起こされます。
そしてこの両者の戦いが繰り広げられます。
そうすると必ずと言っていいほど、次のように言う人々が出てきます。
即ち「どちらも同じ」「この問題の真の解決はどちらにも属さないこと」「早くあなた方も既存の教会から脱出しなさい」というものです。
この人たちは「自分たちは部外者」を自称しており、一見すると主張にも筋が通っており、聞くべきことも多くあるような印象を受けます。
しかしこの人たちには致命的な誤りがあります。

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1.自分たちも同じことをやっている

旧来の教会と、これを改革しようとする人たちを十把一絡(じゅっぱひとから)げに「既存の教会」と決めつけつつ、自分たちだけが聖書的なあり方を実践していると吹聴して止みません。
「既存の教会の問題は自分の問題でもある」と考えない人は、既存の教会=悪い人、私=良い人という典型的な二元論に立っていることを気づいていないのです。
これはかつてどこかで見たことがある光景ではないでしょうか。

2.完全な姿の教会は地上には存在しない

完全な教会は、この地上には存在しないにもかかわらず、既存の教会から出てきたことによってすべての問題がなくなったように言います。
この人たちの決めゼリフとも言うべきものが「既存の教会にいたときは不当な苦しみに悩まされたが、思い切ってそこを出てきて自分たちだけの教会を作ったら、神様との交わりを楽しむことができるようになった」というものです。
本当にその通りでしょうか?
何も自分の意思でそのように行動した人たちを疑うことはないという人もいるかもしれませんが、この人たちが他のクリスチャンにも「脱出」を勧めているのを見ては黙っていることはできません。

欠けの多い人間によって構成されるのが教会であるからこそ、問題があるのです。
ですから既存の教会から脱出して、逃げた者同士で教会をつくっても、やっぱりそこには問題が起きてきます。
しかし彼らは「問題が起きるのは既存の教会だからである」という間違った犯人探しをしているので、新しく造った自分たちの教会にも問題が起きることを認めることができません。
そのゆえに、その起きた問題を隠ぺいするようになり、徐々にセクト団体へと変質していくのです。

3.健全な教会のあり方とは?

健全な教会のあり方とは、具体的に自分たちの足らないところや、抱えている問題点を開示して、それに対する処方箋(しょほうせん)を提示することです。
しかし彼らの口からは、そのようなことは全く出てきません。
ただただ「既存の教会」から脱出できて万万歳(ばんばんざい)という決まり文句が出てくるだけです。

○「自分が泥を被りたくない」「気楽な第三者でいたい」という気持ちは分からなくもありません。
しかしそれを吹聴して、賛同者を募るに至っては、度を越していると言わなければなりません。
問題があっても、個人的に神に結びつくことさえできていれば、その問題から逃げるのではなく、神とともに解決に向けて努力することが可能です。

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コメント

  1. 岡田 より:

    かるいコメントです

    欠けのある 人間が集まる教会 どうにもならん 信徒に牧師、まさしくうちのことです 言いだしたらきりがありません

    しかし、欠点とおもうところが じつは密かに長所ではないかと感じることもあります

    集会中に寝ても、かまわない 出入り自由 牧師さんにタメ口で話してる婦人 メッセージが意味わからんと立腹し平気で休んでる兄弟 プログラムがあるようでないような礼拝、 日付と祈り文だけを変えるだけの、強烈な手抜きの週報 年金生活に入ってからじょじょに幽体離脱してきたかのような牧師 奉仕もあるようなないような教会

    システマテイックな 他教会からみれば、うちほど チャランポランで ええ加減な 教会はないとおもいます財産もない会堂もない何かを要求されることもない、ただ主の十字架ただ主のみことば があるのみです。 ぼくのような縛りかかると病気になる人には最善の場所だと いうことが だんだんわかってまいりました。

    わたしは自信をもって言えます 自分の教会は日本一だと イエスさまが わたしを配置した場所だからです…それ以外、なんの根拠もありません。
    そして本心から告白することができます
    わたしをここに遣わしたのは 人ではなく神なのです と

    ちょっと カテちがいでしたかね(笑)

  2. arinopapa より:

    岡田さん、心に沁みるよいお証をありがとうございます。

    岡田さんが出席なさっておられるような教会が、日本全国に、世界中に広がりますようにと祈ります。

    案外、聖書的とか、聖書に忠実とかをスローガンにしているところほど、かけ離れた実態であることが多いようです。

    真に聖書的とは、赦しが充満していることが唯一の条件ではないかと思う次第です。

    終わりの時代にあって、真の聖書的教会の建設を目指して、そらレッツらゴー!