機転が利く人になるための1つの戒めと3つの秘策

機転が利くとは、どういうことでしょうか。
ありのパパが考える機転が利くとは、目の前に否定的な反応をせざるを得ないような状況がある時でも、それに飲み込まれて同調してしまうのではなく、正反対の反応をすることにより、その場の状況を劇的に変えてしまうことです。

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1.出来事に反応する人であってはならない

福音書に、イエス様に自分の娘を癒してくださいとお願いした婦人の記事が載っています。
その婦人にイエス様は「パンを犬に与えるのは良くない」と言われました。
いつもはイエス様目線で聖書を読んでいますので、このところを読んでも何もおかしく感じなかったのですが、よくよく読んでみると実におかしな対応であると感じさせられました。
ありのパパがこの婦人なら、ここで怒りを爆発させて「あなたが決して神の救い主でないことが、今日明らかになった」と啖呵(たんか)をきり、家に帰って断食祈祷に突入したでしょう。

ありのパパは、このようなことを今までいくらも経験してきました。
皆さんには、ありのパパのような間違いを犯してほしくないと願っています。

2.婦人の応答

さて、ものには怒らなければならないことと、怒ってはならないことがありますが、このケースは明らかに後者です。
この婦人はテストにパスすることが出来ました。
「パンを犬に与えるのは良くない」と言われて、怒りを爆発させるのではなく、「子犬でもテーブルから落ちるパンくずはいただきます」と答えました。
なんという見上げた答えでしょうか。
これはただ怒りを我慢しているというレベルではありません。
そのようなレベルでは決して出てこない応答です。

3.反応ではなく、自ら行動する人になる

どうしたら、そのような機転が利き、あきらめない考え方を持ち、それを日々実践していくことが出来るのでしょうか?

①「出来る」というセリフを暗記し、それを常に口ずさむことによって

初めは大根役者のようです。
しかし上達してくると味のある名優のようになります。
こう言うと「そんな心にないことをセリフとして練習するなんて。真実だけが人の心を打つのよ」と反発される方が必ずおられます。
ありのパパはこのようなとき、いつも同じことを言います。
「あなたがドラマを観ていて感動するのは、俳優が本当のことを言っているからですか?それとも俳優がセリフを真に迫って語っているからですか?」
感情は言葉の後についてきます。本当です。
もし感情が沸き上がってくるまで、言葉を発しないなら感情は永遠に沸き上がってきません。
どうぞ信じて実践してみてください。

②あきらめないと決心することによって

解決不可能な問題はなく、ただ解決されるのを待っている問題だけが存在します。
ある時、孤児の父と言われたジョージ・ミュラーが「何十年も祈っている人がいるが、まだ救われない」と言いました。
それを聞いた周りの者はジョージ・ミュラーでさえ、聞かれない祈りがあるのかと思ったそうです。
しかしジョージ・ミュラーは「祈りが聞かれていないのではない。祈りが聞かれる日が何十年も近づいたのだ」と言ったそうです。
そして実際にその祈られていた人は、ジョージ・ミュラーの死後に救われたそうです。

お子さんの問題行動に悩む親御さんに、ありのパパが「絶対大丈夫。あなたの愛がお子さんに届く日が必ずやってくる」と申し上げると、全ての親御さんが涙を流されます。
あきらめないというのは肩肘張(かたひじは)って我力で頑張ることではありません。
神様が必ずそうしてくださると信じるのを止めないということです。

③応用問題を解くことによって

ただ、ぼさ~としていてはいけません。
それでは白昼夢と変わるところがありません。
あなたのご家庭、職場、友人関係、様々な領域で問題に挑戦していくことです。

だれかが「これやってくれない?」と言うと、大抵の場合みんな下を向きます。
面倒くさいからです。
しかしあなたは輝いた顔をして、その願いをキャッチしてください。
そうして少しずつ難易度の高い問題に挑戦してみてください。
そうするとイエス様に願いを聞いていただいた婦人のように、いざというとき目の覚めるような対応をすることが出来るようになります。

○きれいごとばかりを言って結局何も得られない人生より、地べたを這うようなことがあったとしても願いがかなう人生を選び取りたいと、ありのパパは考えますが、あなたはいかがでしょうか?
平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. 岡田 より:

    こんばんは
    毎日渾身のご執筆ご苦労様です
    この女性のようにネガティブな状況に 機転を利かすことは プライドが邪魔して なかなか、むつかしいですよね
    「だれが 子犬やねん」と たしかに怒っても 良かったのにね

    祈ったのに神に拒絶された と感じたとき 感情的に 神さまを責めてしまうのか いや、思い通りにならないネガティブな状況こそが祈りの答えであると 考えるのか この選択に よって わたしたちの信仰の ありようは 大きく変わるのだと おもいます。

    わたくしも近年 長年通っていた 会堂を牧師の大チョンボによって失いました
    新築移転でもない 戦争でもない 革命でもないのに 重機が教会堂を粉々に壊し 更地にするのを 目の当たりにしましたが‥不思議なことにその光景が、とても爽やかで気持ち良かったのです

    礼拝堂というコンクリートの壁の内側を聖なる空間とし神の家と呼ぶ しかしこの壁が破壊されたときイエスさまのテリトリーが一挙に広がった その気持ちよさを感じました
    持つことの喜びもあれば持たない解放もあるのだとおもいます。

    存続を祈り願ったのに神さま なんで? という人もいます
    しかしサンピエトロ寺院が 破壊されるのなら えらいことやけど 40坪くらいの教会 なくなっても 大したことないやないかとぼくが 発言したとき あるかたは 大変 傷ついたようです マズかったです すぐ電話して謝罪しました。

    不動産価格が下落した昨今 賃貸は本当に楽です

    イエスさまは 「きみら ホンマ疲れたやろ わたしは、どこにでもいる、しばらく ここで 気楽にしたら、どう」 とおっしゃっておられる これが祈りの 答えではないかと 考えておりますがちょっと 無理がありますかね(笑)

  2. arinopapa より:

    岡田さん、こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    ○「だれが小犬やねん。もう一遍抜かしてみー。」と言ったら、奇蹟は起きなかったわけですもんね。
    確かに「短期は損気」というのは本当だと思います。

    ○「牧師の大チョンポ」によって会堂を失ったとのことですが、あまりに大きな出来事過ぎて絶句してしまいました。
    私だったら、自死を考えてしまうような状況です。
    どうぞ牧師さんのフォローをして上げてください。

    ○最後のところですが、実は私もそう思っています。
    これを機会にセルチャーチに組織替えしてみても良いのではないかと思います。
    (部外者の余計なお世話でした。すいません。)