女は男に従わなければならないか?

○福音派キリスト者同士の夫婦喧嘩

夫「聖書に、妻は夫に従えと書いてあるから、いいから従うんだ!」
妻「聖書に、キリストが教会を愛したように、夫も妻を愛しなさいと書いてあるから、あなたがそれを実行できたら、私もあなたに従うことにする。」

○リベラル派キリスト者同士の夫婦喧嘩

夫「聖書に、妻は夫に従えと書いてあるのだから、君もキリスト者なら少しは参考にしたらどうか!」
妻「パウロは男性の視点で書簡を書いている。だからそのような男性の視点のみで書かれた命令に従うことは出来ない。それに私、パウロ嫌いなの。」

女性はどこでも、お強いようです(笑)。

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1.女は男に従わなければならないか?

Ⅰコリント11:1~16は、その当時の文化の中で教会に属する男女がどのような考えを持って行動すれば良いかについて書かれています。
まず、女は男に従うべきかという問題です。
驚くべきことに明確に「女は男に従属している。」と書かれてあるのです!
「これで聖書が神の言葉でないことが明らかになりました。リベラル派の言う通り間違いのある人間が書いた、歴史的・文化的制約を受けている書物であることが明らかになりました。」と断定なさる前に、ありのパパの話を聞いてください。

聖書はどのように従うべきかというお手本として、男がキリストに従属し、キリストが父である神に従属しているように、と言うのです。
これを読んで、あなたはどのように思われるでしょうか?
「妻は夫に従え」と言うとき、多くの場合は「隷従せよ・盲従せよ」と同じ意味で使われているのです。
しかし聖書が「従え」というとき、それは命懸けで父である神に従われたイエスの従順を基準にして言われているのです。
従順と隷従・盲従は似て非なるものです。

2.婦人が牧師職に就くことに関して

福音派の場合、婦人牧師の存在は当たり前のことです。
ただし、一般的に言って生涯独身であり、結婚した場合は副牧師に留まります。
ペンテコステ教会の場合も同じく婦人牧師の存在は当たり前のことですが、福音派よりもう一歩進んで、夫が牧師でない場合でも妻単独で牧師になることが出来ます。

リベラル派教会の場合はどうでしょうか。
婦人牧師の存在自体を認めていない教団がほとんどです。
認めている教団でも、ほとんど婦人牧師はいません。
これは教団が婦人牧師になる道を実際は開いていないということを示しています。
聖公会などでは、この問題をめぐって分裂にまで発展しています。
よくリベラル派から福音派への批判として、福音派は聖書の一字一句を神の言葉とするため、聖書の文字に拘泥していると言われます。
しかしこの問題を見ても明らかなように、聖書の文字に拘泥しているのはどちらでしょうか。

3.夫婦の関係

①コミニュケーション能力の問題。

イサクもその妻も神との関係はしっかりしていました。
しかし聖書は、イサク夫婦が話し合ったということは記していないのです。
後々に起きる事件のことを考えても、この夫婦にはあまり話し合うということがなかったようです。
考えられることは、どちらもボンボンであり、お嬢ちゃんでしたから、愛されることは得意であっても、こちらから相手を理解しようとする能動的な関係は不得意ではなかったかと推察されます。

夫婦関係は、受け身であってはいけません。
求められているのは能動的受容です。
むこうが求めてきたら受容してやるというのでは、永遠にその機会は訪れません。
こちらから積極的に打って出て、馬鹿みたいと言われても、自分でもピエロみたいだと思っても、とにかくやってみることです。

②依存の関係

「私はあなたのお母さんじゃない!」これは夫婦関係の相談において良く聞く言葉です。
イサクは37歳で母を亡くしましたが、40歳でリベカと結婚したときにもなお、母を亡くした寂しさを妻によって満たそうとしたと聖書には書かれてあります。
さしずめ今の時代ですと「マザー・コンプレックス」とか「キモイ」とか言われそうですが、多くの人は自分もそうであることに気づいていないのです。

女性も男性も自分の両親との関係を相手に投影します。
たとえば暴力をふるう父親のもとで育った子供が成長して妻になった場合は、夫がいつか自分に暴力をふるうのではないかと怯え、それが様々な行動に表れます。
暴力をふるう父親のもとで育った子供が成長して夫になった場合は、自分ではそうしたくないのに、暴力をふるいたいとの誘惑に苦しむことになります。

③親替え

ここから解放される道はただ一つです。
それはイエス様にまことの親になっていただくのです。
養育してくれた親に別れを告げて、新しくイエス様を親としてお迎えするのです。
これは自覚的になされなければなりません。
そのつもりでは不十分です。
それでは効果が発揮されません。
自覚的になされた親替えだけが、あなたに真の変化をもたらします。

◎平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、おはようございます。
    男性と女性の問題は、福音派、リベラル派を問わず永遠の課題ですね(笑)

    ところで、今回のパパさんの文章の中で、女性教職のことが書かれていました。

    >リベラル派教会の場合はどうでしょうか。
    婦人牧師の存在自体を認めていない教団がほとんどです。
    認めている教団でも、ほとんど婦人牧師はいません。これは教団が婦人牧師になる道を実際は開いていないということを示しています。

    これは明らかに違います。
    少なくとも、福音派がリベラル派の代表のように言う日本基督教団では違います。

    女性教職は掃いて捨てるほど(?)います。

    むしろ、日本基督教団と福音派(同盟教団)の両方に在籍経験のある私から言いますと、福音派の方が教職制については保守的です。

    日本基督教団では、神学校を卒業したあと准允を受けて補教師(伝道牧師)その後で、按手を受けて正教師(牧師)になりますが、女性も男性も同じように正教師になります。

    しかし、同盟教団の場合、女性のほとんどは補教師どまりで、正教師になるのはほんのわずかです。不思議に思って理由を聞いたところ、女性は牧師である男性の背後で仕えるために(つまり牧師夫人という立場で)正教師にはならないそうです。

    同盟教団の教会神学校を卒業したばかりの女性を、補教師として招聘したことがありますが、彼女も「自分は牧師になるつもりはない。自分は牧師夫人になるために神学校に行った」と断言しました。

    これを聞いて、私と妻は「日本基督教団とは何と考え方が違うものか」と驚いたものです。

  2. arinopapa より:

    ヒラぴゃんさん、こんにちは。
    まずはじめに、私に誤認識があったこと、おわびします。

    ①日本基督教団における女性教職の割合と、きよめ派における女性教職の割合について言及したつもりだったのですが、実際の文章はそのようには読めないものとなっていました。
    お許しください。
    私が所属していた教団は、毎年の献身者は十名ぐらいで、そのうち二名が男性で、後は皆女性という割合でした。
    開拓伝道も神学校出たての夫人牧師が二人組でやっていました。
    そのような訳で教団の女性教職の割合は過半数を超えていました。
    「それに比べてリベラル派教団は」と言いたかったのが真意です。

    ②欧米のリベラル派教団の場合は日本基督教団とは大分事情が違って来るのではないでしょうか。
    聖公会は、この問題を含めて分裂含みですし、バプテスト教会や改革派教会も、女性教職を決して容認しない姿勢を崩していません。
    ですので世界的規模で、この問題を見ると、私の見解もあながち間違っているとは言えないと考えます。

    ③ペンテコステ教会における女性教職の取り扱い方が、最も初代教会のやり方に近いのではないかと思います。
    韓国の純福音教会の場合ですが、長老であるご主人が仕事で海外に転勤すると、伝道師をやっている奥さんも一緒に引っ越しをし、転勤先に純福音教会があれば、そこの伝道師に赴任していました。「アクラとプリスキラ」のように(笑)。

  3. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、こんにちは。
    今、会社から帰ってきました。

    ブログの趣旨、よく分かりました。

    こんなに素直に謝られると、かえって恐縮してしまいます。
    相変わらず、素直な方ですね(笑)

    私などは、こんな場合には色々と理屈をつけて自分の主張を正当化しようとやっきになるのですが、こんなにあっさりと謝られると、人間の出来の違いを見せつけられるようで自己嫌悪に陥ってしまいます(大笑)

    パパさんが所属していたきよめ派の教団のことや、ペンテコステ派のことなど、私が知らないことを教えていただきありがとうございます。

    献身者の8割が女性というのは驚きでした。

    日本基督教団の場合、神学生のうち女性は2割から3割といったところでしょうか。

    その前提でブログを読み直すと、パパさんのおっしゃることもうなずけないこともありません。

    こうやってお互いのことを知り合うことって大切ですよね。

    今後ともよろしく。

    ヒラぴゃんより。

  4. arinopapa より:

    ヒラぴゃんさん、こんばんは。

    自分の間違いや行き届かないことがあったとき、謝るのは当たり前のことです。
    あと私の中に、「なにかというとリベラル派をやり玉に挙げていやらしい。」という、自分を責める思いがあります。
    「昔、改革派、今、リベラル派」というような感じで、自分が本当に聖書に対する信仰のゆえに戦っているのか、それとも異分子を見つけて叩きのめすことに喜びを感じている律法主義者なのか、自分の心を常に探っていかなければならないと自戒しています。

    聖潔派の婦人牧師は一生独身が不文律で、結婚する場合は副牧師というのが相場でした。
    ペンテコステ教会に移って、なんと自由なことかと驚きました。
    ペンテコステ教会に色々な問題はありますが、このことに関してだけは聖書的であると思いました。

    では。

  5. 違うと思う より:

     >リベラル派教会の場合はどうでしょうか。婦人牧師の存在自体を認めていない教団がほとんどです。認めている教団でも、ほとんど婦人牧師はいません。これは教団が婦人牧師になる道を実際は開いていないということを示しています。

     あなたがどの教団を「リベラル派」としているのかわかりませんが、そんなことはないんじゃないでしょうか。例えば、日本基督教団はおそらく「リベラル派」ということになると思いますが、女性の教職は何十人とおられますが。

  6. arinopapa より:

    「違うと思う」さん、こんにちは。

    ○リベラル派教会というとき、当然のことながらそれは世界中にあるリベラル派教会を指しています。

    ○日本基督教団をあげておられますが、教師数二千名のなかで婦人牧師が「何十人もいます」と平気で言われる感覚を疑います。
    割合にしたら、一体何%になるでしょうか?
    あなたはこのことを婦人牧師が少ない例としてではなく、婦人牧師が多い例としておられることに、私は深い失望感を持ちます。

  7. 通りすがりの猫 より:

    「女は男に従わなければならないか?」の件。

    楽しい話題をありがとうございます。なるほど、この考えで夫婦喧嘩をするとこうなるんですね。分かりやすいなあ。

    私は、この聖書と言う書物は、主が愛して創られた人間が、これを読んで従うと、幸せになるようにと意図して書かれているはずだと思っています。

    それがまた真理なもんですから、例えばいくら表面的に決別しているように見えても、妻は夫に霊的にはやはり隷属していると思うのです。妻は夫の油注ぎの影響を受けているはずだと。

    なんせ「助け手として作られています」ので。

    で、聖書のその通りにするなら、何らかの益があるわけで、そうじゃなければ神様は意図的に、「妻は夫を慕うが、夫は妻を支配する」などという記述を聖書に残すはずは無いと思うのです。

    で、妻が隷属していることで、夫婦喧嘩が盛り上がるのは不幸な出来事なんですが、それ以外に何か、とっても幸せな事があるはずだと、ある日気がつきました。でも一体それはなんだろう?数年間それは分かりませんでした。

    ところがある日、家内が原因不明の体調の悪さを訴えたとき、家内に手を置いて、私はこう祈っていました。

    ナザレ人、主イエスキリストの名前によって、体調不良とその原因よなくなれ。癒されなさい。元気になりなさい。これは私の妻であるから、夫の言葉に従いなさい。アーメン。

    と聖書にある、夫と妻の立場を主張して祈りました。
    これは結構効きました。

    もし隷属ではなくて従順だとすると、妻が「祈られても治らないかも」つまり祈りの意思に対して不従順な場合は、奇跡は起らないと考えます。しかし隷従であるなら、何を考えていても癒しは起きるのではないか。とすると、これって良い事なんだわ~とか思ったりしました。

    聖書の真理って、いい事に使うと、すごい有効と自覚した次第でありました。

    以上でした~。

  8. arinopapa より:

    通りすがりの猫さん、こんばんは。
    まずお願いがあります。
    「ありのまま日記」と「ありのままブログ」は別々に運営されています。
    ですので、どちらにコメントされても全く構いませんが、「ありのままブログ」でもコメントされるのであれば、こちらでもどうぞ自己紹介なさってください。
    そうでないと、猫さんのコメントに、ものすご~く違和感を読者の方々が感じると思いますので(笑)。
    実は、「ありのまま日記」の方で猫さんの背景を知っている私でも、このコメントには違和感を感じます。
    なぜ違和感を感じるのかは、また後ほど。
    それではよろしくお願いいたします。

  9. arinopapa より:

    猫さん、こんにちは。

    猫さんの言っておられることと、猫さんの夫婦関係には乖離があると思いますが、いかがでしょうか?
    というか、それを期待します。

    なぜなら妻は夫に隷属するものではなく、従順するものだからです。
    そしてこれは神がそのように定めておられることですから、妻に対して隷属的関係を求める夫は、誰であれ神に裁かれます。

    実際の生活では、夫婦は対等であり、夫はリーダーの役を主から担わされているに過ぎず、妻も役割として従順を求められているに過ぎません。

    癒しの問題にしても、聖書の福音書を見ても、どれ一つとして自発的な従順の関係なしに、神からの癒しを受け取っている例はありません(意思を問えない死人と、自立していない子供は別として)。

    そして何より生命的に重要なことは、イエス様ご自身が自発的従順を願っておられるということです。
    イエスが最も嫌悪されるのが、隷属と盲従です。

  10. れん より:

    はじめまして!れんと言います、コメント失礼いたします。

    冒頭の「福音派キリスト者同士の夫婦喧嘩」、「リベラル派キリスト者同士の夫婦喧嘩」がとても面白くて、思わず笑ってしまいました!笑  

    これを例えば画像とかにしてSNSに乗せることってお許しいただけますか?
    とっても面白いと思いまして。

    もしよろしければお願いいたします。

    これからもブログ更新楽しみにしています。(過去記事も楽しく読ませていただいてます)

    • ありのパパ より:

      こんにちは、れんさん。
      初めてのコメントをありがとうございます。

      どうぞ、お好きになさってください(笑)。
      それが誹謗中傷でない限り、事前の承諾なしに当ブログの記事を引用していただいて構いません。

      これからもよろしくお願いします。

      ありのパパより