思い煩うと神が見えなくなる。いつも神と共に生きるための三つの秘訣

目の前の心配事で神が見えなくなることがあります。
そうならないための三つの秘訣があります。

創世記21章01節には神に約束された子供であるイサクが産まれたことが記されています。
これによってイシュマエルの立場は危ういものとなりました。
イシュマエルとハガルの視点から神の御業を見ていきます。

        

1.思い煩うと神が見えなくなる

イシュマエルの幸福な子供時代が終わった途端に嵐がやってきました。
しかしそれでもなお、イシュマエルは幸せでした。
なぜなら少なくとも13年間は両親が揃っていました。
また放逐する直前までアブラハムは悩みました。
それは自分の子供として愛情を感じていたからです。

それにもかかわらず母親のハガルは心配で胸がつぶされそうでした。
なぜでしょうか。
それは将来の心配で頭が一杯になり、自分の息子について神が約束して下ったことを思い出す余裕がなかったからです。
かつて14年前に「エル・ロイ=ご覧になる神」という立派な信仰告白をしたハガルではありましたが、心の目がふさがってしまったため、死ぬほかはないと思い詰めました。
そして死を覚悟している母親に気づいて、子供のイシュマエルは声を上げて泣きました。

14年前の出来事についてお知りになりたい方はすべての者に見捨てられた時でさえ、神はあなたを見捨てていない!をお読みください。

        

2.解決はいつも足元に置かれている

私たちにもこのようなことがあります。
ありのパパがパン工場でアルバイトしていたとき、パートの婦人が捜し物をしていたことがありました。
その捜し物は、その婦人の足下にありました。
それでありのパパは冗談めかして「あなたの足下をご覧なさい」と言いました。
すると婦人は「いいえ、そこは探しました。どこか遠いところにあるに違いないのです」と言うのです。
ありのパパ「解決はいつでもあなたの足下にあります。足下をご覧なさい」とやや強く言うと、やっとその婦人は自分の足下に転がっている捜し物を見つけることが出来たのでした。

私たちは往々にして、解決策を探し求めるとき、それはどこか遠くにあるに違いないと思い込み、足下を探そうとしません。
なぜこんな笑い話のようなことが起きるのでしょうか?

        

3.原因はピントがずれているから

カメラのピントがずれると画像がはっきりと写らないように、私たちの心のピントがずれると解決策が見えません。
そうならないための秘訣は以下の通りです。

①「明日」に焦点を合わさず、「今日」に焦点を合わす

「明日のことは明日に心配させなさい」と聖書にあるように、明日になってから明日のことを心配すればよいのです。
今日は今日のことを考えます。
こんなことを言うと「今から明日の準備しないでどうするの?」と言う方が必ずおられます。
どうぞご安心ください。明日は一生来ませんから。

なぜなら「明日」がやってくるときには、「今日」という名前に変わっているのです。
だから今日だけのことを考えれば良いのです。

②世に焦点を合わせるのではなく、霊的なものに焦点を合わす

ハガルの場合、アブラハムの財産を自分の子供が相続するのが夢であったかもしれません。
その夢が破れて、お先真っ暗と失望していたのですが、このところでハガルがすべきことは水と食料の確保でした。

間違ったものに焦点があっていたので、今日の必要を満たすための井戸の存在に気づくことが出来ませんでした。

③地上生涯の結末に焦点を合わせるのではなく、さらに続く天国に焦点を合わす

アブラハムは神のご計画のため、自分の人生を献げましたが、自分が生きている間に神のご計画が実現することはありませんでした。

これが現代人なら失望して死ぬところではないでしょうか。
周りの者たちも「彼は信仰をもって一生懸命やっていたが、信じた通りにならなかった。どこが悪かったのだろうか?」と言うでしょう。

しかし違うのです。その視点が誤りそのものなのです。
私たちは神に人生をお献げしたなら、御霊の導きに従い、人生を全うすれば良いだけです。
私たちは神のご計画の一部になれただけで、十分満足です。

アブラハムのように失望しない人と、ハガルのように失望する人の違いは何でしょうか?
それはアブラハムは天国に希望を置いていたので、この地上生涯の結果がどうであれ、感謝と満足をもって受け入れることが出来ました。
ハガルはこの地上のことだけに焦点を当てていたので、この地上における希望が無くなったと思えたとき、失望してしまったのです。(しかも実は希望は無くなっていませんでした。ただハガルが勝手に失望していたのに過ぎませんでした)

どんなときでも解決は(神の手によって)足下に置かれています。
ですからいつまで待ってもやって来ない「明日」ではなく、「今日」という一日を生きることにいたしましょう。

◎平安と祝福を祈っています。

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